これ読んでて気になったのが
エンジニアの信頼性は長く仕事をしていると,ある程度決まってくるものです。
平たくいうと,仕事を安心して任せられる人と任せられない人に分かれてきます。
これ、結局「本人が勉強しなかったからアイツは使えねー。」で切り捨てる考え方なのか?
「使えるエンジニア」「使えないエンジニア」でばっさり区別して、「使えないエンジニア」は「ハイ、サヨウナラ」で済ますってこと?
でさ、結局は「使えるエンジニアに成長できる会社に就職して、そうした仕事を与えられて、ぐんぐん勉強して伸びた人間」と「成長できない場末の会社に就職して、運悪く保守作業ばっかりで、勉強する機会を与えられなかった人間」でもうバッサリ、ってこと?
あまりにも、あまりにも救いが無い。
100%の性能・品質を目指すばかりに、「ぼちぼち」「ほどほど」を切り捨てた結果、異常にコスト高になったり人への依存度が高くなりすぎて身動き取れなくなったりとか、どっかで見た風景じゃない?
それよりも「ぼちぼち」「ほどほど」だけど量は大量に供給されてる部品を使って、「まぁまぁ」の品質で大量生産した方が良いっつー意見は無し?
短所だけ見て、長所には目もくれず「アイツは使えないやつ」ってラベリングした可能性、無いと言い切れる?
「デキるエンジニア」「デキないエンジニア」って切り分けるんなら、その判断基準はどこよ?
どこまで知ってれば、実際に手を動かせれば良いの?んなもん環境で変動する至極いい加減な基準じゃないの?
突き詰めれば、コンパイラを機械語だけで作れて、OSも機械語だけで作れて、アルゴリズム系も全て機械語だけで実装できて、CPUの論理回路をVHDLでさくっと作れて、周辺I/O用の回路も全て作れるやつ?
そのレベル、ホイホイいるわけねーだろ。
ほどほどの、あるいは品質にばらつきのある部品をうまく組み合わせて、ほどほど満足できる成果を出すやり方って無いの?ある程度の欠陥があっても、「まぁ死ぬわけじゃないし、いいよねー、あっはっはー。」で済ませる寛容さって無いの?・・・いや、人命に直結する分野はさすがに無理だろうけど。
なんなんだよ、この地獄。ほんと現世は地獄だぜフゥーハハハァー。
・・・あ。そーゆー会社、一つだけ知ってたわ。さすがにそこまでのどかなわけじゃないけど、「うちはうち、他は他」って感じの割りきりが、わりとこう「アッサリ」とした雰囲気で朗らかに感じられる、珍妙な会社。
不幸にもご縁が無く入社叶わなかったけど、あそこの雰囲気というか、「まぁぼちぼち自分たちなりのやり方でいきましょうや」って感じの、とかいいつつちゃっかりiPhoneとかAndroidにも抜かりなく手を出してるあのセンス、いつまでも変わらないでいてほしいなぁ。
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