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タイトル/名前 更新者 更新日
日記/2018/12/08/Fluentd/Embulkなどデータ,ログ収集系の参考リンクメモ msakamoto-sf 2018-12-08 15:31:20
FrontPage msakamoto-sf 2018-09-09 18:42:46
プロフィール msakamoto-sf 2018-09-09 18:40:44
日記/2018/09/09/1年間のジムトレーニングを通じての感想 msakamoto-sf 2018-09-09 12:07:44
日記/2018/07/23/恐山の感想 msakamoto-sf 2018-07-23 00:24:59
日記/2018/05/07/最近の仏教思索(2) msakamoto-sf 2018-05-09 01:10:54
日記/2018/05/05/奈良旅行の感想 msakamoto-sf 2018-05-05 20:26:05
日記/2018/03/24/最近の仏教思索 msakamoto-sf 2018-03-25 00:18:36
Java/セキュリティ機能の公式ガイドメモ msakamoto-sf 2018-01-28 20:50:17
技術/Security/Nmap msakamoto-sf 2018-01-28 13:58:24
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日記/2018/12/08/Fluentd/Embulkなどデータ,ログ収集系の参考リンクメモ  

所有者: msakamoto-sf    作成日: 2018-12-08 15:30:40
カテゴリ:

使い方とか、雰囲気などわかる参考URLのメモです。

Fluentd関連参考

Embulk : Fluentdと開発者が同じで、Fluendtがstreamなら、Embulkはbulk転送。

なお、Datadog/Mackerel/NewRelic はログ収集ではなくてモニタリングサービス(メトリクス収集など)なので、データ・ログ収集とは全然違う分野のサービス群。
参考:


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更新者: msakamoto-sf
更新日: 2018-12-08 15:31:20
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所有者: msakamoto-sf    作成日: 2008-11-23 18:22:11
カテゴリ:

Glamenv-Septzen : ぐらめぬ・ぜぷつぇん

msakamoto-sf こと 坂本昌彦 によるプログラミング技術を中心としたブログ兼Wikiです。

Twitter: @msakamoto_sf

GitHub:

Qiita:


使用しているツールの制約上、コメントやトラックバックは受け付けられません。
本コンテンツへのご意見もしくはコメント投稿用アカウント申請については、Eメールにて下記アドレスまでご連絡下さい。

sakamoto.gsyc.3s@gmail.com

なお、2001 - 2003年にかけて作成し、Niftyホームページ上にて公開していたコンテンツについては以下を参照して下さい。*1

風晶のC言語プログラミング
https://www.glamenv-septzen.net/nifty/index.html
2010年頃作ってた英語出張版
https://www.glamenv-septzen.net/en/
*1: 技術・非技術系問わず内容が非常に古くなっています。坂本の大学生時代の活動内容としてメモリアルページとして利用して下さい。

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更新者: msakamoto-sf
更新日: 2018-09-09 18:42:46
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プロフィール  

所有者: msakamoto-sf    作成日: 2008-11-24 01:04:10
カテゴリ:

msakamoto-sfのプロフィール

本名
坂本昌彦, 1981年生まれ
出身地
千葉県香取市*1
主に使うプログラミング言語
PHP, Java

PHPは趣味です。仕事ではJavaをメインとして雑食性です。C(Windows, UNIX)/VB/Ruby/Perlなどの使用経験が有ります。

  • 2004/04 - 2009/07 : 東京都立川市内のソフトハウスでPGとかSEなどに従事。
  • 2009/09 - 2009/12 : 東京都内にてポータルサイトの開発に従事。
  • 2009/12 - 2011/05 : 無職
  • 2011/05 - : 東京都内のWebアプリケーション脆弱性検査業務に従事。

GitHub:

Qiita:

XhwlayというPHPライブラリと、このサイトでも使っているYakiBikiというWikiクローンをマイペースで開発しています。

座右の銘

BRAIN VALLEY (瀬名秀明, 角川書店), 下巻 382p(ハードカバー版)より:

この世で最も厄介な人種は科学者だ。
精神は小学生より幼稚であるにも関わらず、人一倍プライドと体面を気にかける。
彼らは決して社会に出してはいけない。
山奥に隔離し、ふんだんな機材と試薬と実験動物を与えて飼い慣らすに限る。
そして時々、お前が世界で一番偉いのだと声をかけてやるのだ。
そうすれば100年に一度くらいは有益な成果を上げるかもしれない。
だがいずれにせよ、愚かで小賢しい存在であることに変わりはない。

本書中に登場する、とある人物からの視点。
「科学者」→「プログラマ」なり「SE」なり「IT技術者」なり「ギーク」なりに置換する。
トラウマ級に精神に刻み込まれた、戒めの言葉。

読んだ本

読書 参照

好きな絵師

  • 智内兄助
  • 清原啓子(銅版画)
  • 松井冬子
  • 冬目景(漫画家)
*1: 旧佐原市

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更新者: msakamoto-sf
更新日: 2018-09-09 18:40:44
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日記/2018/09/09/1年間のジムトレーニングを通じての感想  

所有者: msakamoto-sf    作成日: 2018-09-09 11:25:41
カテゴリ:

2017年10月頃から、近所のコナミスポーツクラブのジムに通い始めた。

  • 2017年10月~ : 6週間のダイエット・トレーニング("バイオメトリクス"), 週三回, 毎回30分くらい, 93kg -> 89kg
  • 2018年12月~2月くらい? : 4週間の筋肉強化トレーニング("V-BODY"), 週二回, 毎回30分くらい
  • 2018年3月くらい?~7月 : トレーナーとのマンツーマントレーニング("パーソナルトレーニング"), 週一回, 毎回30分くらい

最初のダイエット・トレーニングでなんとか90kgを切れたが、その後のトレーニングは筋力強化のため、体重は減っていない。トレーナーのその時点でのおすすめとしてはダイエット・トレーニングの後に筋力強化に進む人も多いとのことだったし、筋力強化系のトレーニングはやったことなかったので、実験目的で挑戦してみた。

体重についてだが、2018年前半で数回福岡出張に行ってそこで散々飲み食いしてしまったため、2018年5月頃に92kgまでリバウンドしてしまった。
その後、6-7月にかけて91kgくらいまで戻せたが、91kgを下回らない日々が続いている。

全体的な感想としては、どうも筋力強化が思ったよりも体に負担がかかってしまい、まずはダイエット・トレーニングが先のようだと感じている。

というのも、5月くらいからパーソナルトレーニングで体幹トレーニングを取り入れてもらったのだが、これがかなり汗だくで、暑くなってくる6月くらいから、トレーニング終わったあとは精根尽き果てた状態になっていた。暑くなってくるとジム内も冷房が入るが、この冷房の風が汗だくの体に堪える。
日によってはトレーニング終了後は悪寒や震え、頭痛などでグロッキー状態になったこともあった。

しかも、トレーニングが終わったあとに筋肉痛とともに、頭痛に襲われるようになった。これは筋力強化のトレーニングのときからも時々あったのだが、何が弱るかというと、土曜日にトレーニングに行ったあと、日曜日が筋肉痛と頭痛により、最低限の買い物以外は基本、家で寝込むかアニメ見て終わり、という状況になってしまった。読書やプログラミングなどの活動が全くできない状況だった。

ついには、7/28 の昼間のトレーニング終了後にどうにも悪寒が止まらず更衣室でうずくまってしまい、救急搬送されるに至った。(救急車が到着する頃にはもう大分回復していて、病院で点滴打ってもらったらすぐ帰れたのは幸いだった)

心配したトレーナーにより、8月一杯は強度を落として弱めのトレーニングに切り替えてもらい、それによりトレーニング後の頭痛も無くなった。

また、体幹トレーニングを導入した5月くらいから、トレーニング前に測っている血圧が高めになっているのもトレーナーから指摘された。どうも、体幹トレーニングだと「踏ん張る」動きが多くなる都合で、血圧が高くなる傾向があるらしい。(個人差もあるようだし、自分の場合、高くなるといっても最高140くらい)

そのため強度を落とすとともに、体幹トレーニングも5-7月まで3種目くらいやっていたのを、0か、1種目程度に変更された。

結果、8月一杯の血圧を見てみると少しずつ最高血圧が低くなっているので、やはり体幹トレーニングが血圧を高める一因の可能性が高いようだ。(全体的にトレーニングの強度を弱めてるので、体幹トレーニングだけが要因とは言えない。また、そもそも夏の暑い中をジムまで移動して、その後数分の着替えで急な冷房で体が冷やされるので、その影響も考慮したい)

救急搬送の次の週にトレーナーと今後のメニューについて打ち合わせしたときに、前述の体幹トレーニングと血圧の関係を聞かされた。また、念の為医者に相談してもらうようトレーナーから言われたため、近くの糖尿病・高血圧など成人病メインの内科クリニックにでかけて健康相談をした。医師からは、筋肉強化よりは減量を進められた。血圧についてはまだ薬が必要なほどではないとのこと。ただ、血圧についてはジムや病院などだとどうしても緊張状態が入ってしまい、平常時の血圧にはなりづらい。なので、家で毎日測ってみてね、と言われたので3千円くらいのシンプルな血圧計を買ってみて、なるべく毎日、朝と夜に測るようにしてみたところ、なるほど、確かにジムで測るよりも若干低い値になっていた。

ということで、そのへんもトレーナーと共有してみて、ここはやはり減量だろうということで、9月からまたダイエット・トレーニングを始めてみた次第。

ここまで1年ほどジムで有料トレーニングを受けてみたが、90kg台の体重の状況では、やはり減量トレーニングが最も優先すべき事項であり、また効果も出やすいようだ。

一方で筋肉強化については体重90kg台の状況ではあまり意味が無かったようにも思える。というのは、もともと筋肉を使わない日常(デスクワーク)なので、トレーニングをしないとあっという間に筋肉が落ちてしまう。
実際、救急搬送された次の週に体脂肪率を計測したら、筋肉量が28kgと出て、その後トレーニング強度を下げて1ヶ月経ち、ダイエット・トレーニング開始時にまた体脂肪率を測定したら筋肉量が 27.7 kg まで300g落ちていた。これは2018年最初にやった筋肉強化トレーニング4週間コースの1回分で増量した分に等しい。

つまり、自分の今のライフスタイル・ワークスタイルにおいては「日常に支障が出ない範囲のトレーニング(救急搬送後の8月のトレーニングレベル) 」では、「血圧や日常に支障が出るレベルのトレーニング」でつけた筋肉が消えてしまう、ということになる。

言い換えると、血圧や日常に支障が出るレベルのトレーニングで増量した筋肉は、その後の血圧や日常に支障が出ないレベルのトレーニングでは維持できない。(少なくとも2018年前半の自分の体では)

言い換えてみれば「そりゃそうだ」という話で、成長期ならいざ知らず、思春期~成人までを通じて運動嫌いで運動らしい運動をしてこなかったメタボの30台後半なのだから、たかだか半年ほどで増量した筋肉がそう楽に維持できるものでもない。

実際、今日はこうしてブログを書けているが、5~7月の救急搬送まで、土曜日のトレーニングのあとはグロッキー状態でブログを書ける状態ではなかった。そこまでして増量した筋肉が、「体に無理のない」トレーニング1ヶ月で300gも消えてしまうのだから、これはもう、無理筋というものだったのかもしれない。

ということで、兎にも角にも減量最優先という戦略に切り替えてまた少し実験を続けてみて、自分の体がどう反応するか?特に、去年のダイエット・トレーニングでは、それまでジムに行ってなかった状態で始めたが、今年は1年ほどトレーニングに慣れて筋肉も一応増えた状態で始まるので、それでどう違いが出るかを検証してみたい。


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更新者: msakamoto-sf
更新日: 2018-09-09 12:07:44
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日記/2018/07/23/恐山の感想  

所有者: msakamoto-sf    作成日: 2018-07-23 00:23:52
カテゴリ:

2018-07-15, 16 と、青森県むつ市の霊場恐山に一泊二日でお参りというか観光してきた。

7/14-15 : 往路は八戸に前泊

東京から八戸までは東北新幹線で3時間と少しで本数も多いのだが、問題は八戸~JR下北駅と、JR下北駅~恐山にある。
JR八戸駅~JR下北駅は青い森鉄道と途中の野辺地からの大湊線になるが、これが本数が少ない。2時間程度に1本。
さらにJR下北駅~恐山のバスも2-3時間に1本。
つまり、待たずに乗り換えというのが相当難しい。乗り継ぎが上手くないと、八戸か下北駅で1-2時間はたっぷり待つことになる。
いずれも時刻表はインターネットで公開されている。それをもとに恐山から逆算していくと、15日中に東京から恐山まで移動するとなると途中トラブルによる遅延バッファが確保できなくなる。
(ちなみに羽田~青森でJALの空路という手もあったが、検討が間近だったためか片道だけで3万数千円となり、新幹線往復に匹敵する金額となった。お財布事情から空路は断念)

恐山自体は観光スポットとしては徒歩45分~1時間程度で見て回れる。宿坊「吉祥閣」にも泊まるので、恐山到着日は帰りの時間は考慮しなくて良い。
とはいえ、歩き回る疲れなども考えると少し余裕を持ちたい。つまり、恐山には夕方遅くではなく、昼過ぎ頃には到着したい。
そうなると、東京を相当朝早くに出ないとバッファ込みで乗り継げなくなる。

そこで今回は思い切って、14日に八戸に前泊することにした。
厳密にはJR八戸駅ではなく、そこから八戸線で2駅の「本」八戸駅近くのビジネスホテルに前泊。
これなら、14日/15日とかなり余裕を持って動ける。
ついでに八戸の海産物なども食べられそう。

ということで、7/14の 15:20 東京発はやぶさ27号に乗り、無事 18:13 JR八戸駅到着。その後 18:22 にJR八戸駅発の八戸線、鮫・久慈方面の下り列車で二駅、18:30に本八戸駅に到着。
どうやら新幹線停車駅の「八戸」よりは、「本八戸」の方が市街に近いらしく、本八戸駅から徒歩数分で八戸市役所があり、さらに徒歩数分でホテルや飲食店が賑わう街なかに出る。
その日はそこのビジネスホテルで宿泊した。
ホテルの1Fに居酒屋があり、そこのお食事券付きのプランだったので夕食をそこで食べて、ウニとかイカとか美味しかったです。

明けて 7/15 は 09:32 に本八戸駅発、09:41 に八戸駅着。そこで少し小休憩したのち、10:51 八戸駅発 JR快速リゾートあすなろ下北1号・大湊行に乗る。
ここから、三沢を経て野辺地、野辺地から大湊線でひたすら下北半島に向けて列車に揺られる。
12:34 にJR下北駅到着。ここで、恐山が開山している5月~10月は上記の快速リゾートあすなろの時間に合わせてバスが増発してくれてて、12:45 恐山行きのバスにそのまま接続できた。
無事 13:30 頃恐山到着。

ちなみに、恐山の途中に「冷水」という停留所がある。ここは山の清水が湧き出ていて、飲むと寿命が延びるとか。
停車ボタンを押す人はいなかったんですが、運転手さんは勝手に停めて、「どうぞ降りて、観てってください」とサービスしてくれました。
自分含めて12,3人くらいの乗客でしたが、みんな湧き水を味見してました。

7/15 : 恐山宿坊「吉祥閣」に1泊

恐山:
http://www.mutsu-kanko.jp/guide/miru_01.html
862年開山、当初は天台宗の修練道場。現在は曹洞宗。

恐山温泉宿坊 吉祥閣:
http://mutsu-kanko.jp/guide/osorezan_annai.html
https://www.aptinet.jp/Detail_display_00004276.html

恐山ですが、聞きしに勝る風景。漂う硫黄臭。そこかしこに積まれた石、宇曽利湖に吹き下ろす風でカラカラ回り続ける風車。
硫黄を含んだ蒸気が吹き出ているポイントも数箇所ありました。
(夜に法話をしてくれた院代によると、昭和30年ごろはもっとそこかしこで蒸気が吹き出てたらしく、近年は大分落ち着いてるとのこと。)
火山特有の軽石が大量に転がっており、賽の河原に見立てて、石を積んだ山があちこちにあります。
お地蔵様や観音様の石像・お堂もあちこちにあり、昨日今日買ってきたばかりと思われるようなお菓子などが沢山お供えされてました。

イタコさんとは会いませんでした。というのも、恐山にイタコが集まるのは 7/20 頃と10月の体育の日前後に開催される大祭にあわせており、自分が行ったのはその1週間前で、まだイタコが集まってなかったのです。
(明けて 7/16 には、イタコさんが小屋を立てたりして準備を始めてました)

ここで恐山とイタコさんの関係ですが、恐山自体は現在は曹洞宗の「恐山菩提寺」が管理してます。お寺自体はむつ市の市内にあり、雪解けする5月~10月の間に「霊場恐山」に出張してるような状況。
イタコさんの方ですが、もともとこちらは東北地方に根付いている民間のシャーマン(巫女)で、普段は地元でひっそりと自営業的にやってるそうです。
恐山の大祭に合わせて、縁日の出店じゃないですが人が沢山くるので営業チャンスとばかりに恐山に集まって、死者を降ろす口寄せを行う。
曹洞宗の方は、基本的にはイタコさんについて特に管理もせず、くるもの拒まずで受け入れてるだけで、特にイタコさんの営業窓口とか管理的なことはしていません。要するに無関係。
ところが、お寺さんに掛かってくる電話の8割近くがイタコさんに関わる電話とのことで、「恐山=イタコ」の図式は中々覆し難いようでした。

特筆すべきは、硫黄臭漂う火山ならではの温泉。境内には4箇所の温泉小屋が建てられていて、男湯・女湯・混浴それぞれあり、入浴することができます。
硫黄成分が強いため長湯は推奨されてません。数分~10分程度までとの注意書きが貼られてます。
真水のシャワーなどは無いので、その点も注意が必要です。
宿坊の大浴場なら真水・お湯のでるシャワーがありますが、そちらは宿泊者専用となっています。

温泉入ってみましたが、ポカポカで気持ち良かったです。
硫黄臭が強く、温泉を出てからもそうですが、温泉卵食べたいな~と滞在中ずっと思ってました。

宿坊の方は、曹洞宗のお寺ということもあり、食事はみんな揃って精進料理。食べる前と後にみんなでお唱えします。
ご飯のあとは、恐山菩提寺の院代(住職代理)を務める南 直哉氏の法話を1時間ほど聞くことができました。
全く不勉強で予備知識無しで聞いたのですが、インタビューや著作活動、座禅と仏教の議論などで大変有名な方で、思いもかけずそのような方の法話を聞くことができてラッキーでした。
ブログで恐山や仏教などについて記事を沢山書いてる人でした:
「恐山あれこれ日記」 https://blog.goo.ne.jp/jikisaim

内容も面白く、笑いを誘いつつも所々でドキリとさせるようなツッコミを入れてくるなど、1時間があっという間に過ぎました。

その他、参考にした宿泊レポート:

7/16 : 朝のお勤め

宿泊者は朝6時半からの朝のお勤めに参列。
驚いたことに、早朝にもかかわらず宿泊者以外の方も参列していた。
地元の方か、あるいは遠方からはるばる車で来られた方たちのようだ。

朝のお勤めで驚いたのは、般若心経の読経で、和太鼓をドンドコドンドコ早めのビートを刻みつつ唱えていた点。
これがお堂に響き、まるでラップのビートのように一気に般若心経の読経が終わった。このような読経には初めて遭遇した。

その後お堂を移ってそちらでもお勤め。こちらは卒塔婆供養などで卒塔婆を頼んだ人たちも参列しており、お勤めが終わったあと、卒塔婆を配っていた。
宿泊者の中にも、年配の方が何名か卒塔婆を受け取り、外の卒塔婆建てるところに持っていっていた。
その後朝食(精進料理)を食べて、解散。

帰りが問題で、恐山発のバスは 10時からあるが、10時発だと下北駅が10:45着となり、八戸行きの電車は 14:11 下北駅発からとなって数時間待つ羽目になる。
10:26発の八戸行に乗れれば楽だが、バスではどうしようもない・・・
ということで、宿坊の人にお願いしてタクシーを呼んでもらいました。恐山からJR下北駅まで、タクシーで 4,350 円でした・・・。
(他の宿泊者はみんな、マイカーか 13時恐山発のバスみたいで、タクシーは自分一人だった)

そこで 10:26 発の八戸行に無事接続、12:30には八戸駅に到着できました。

新幹線は 16:16 八戸駅発のはやぶさ30号を予約していたので、大分時間が空きました。
そこで、せっかくなので八戸駅から100円バスで行ける「八食センター」に行ってみました。
https://www.849net.com/

八戸の海産物などが集まる市場で、観光客向けの食堂やお土産も沢山売ってます。
ホタテ、牡蠣、ウニ、ホヤ、イカ、サバ、ほっけなどが沢山並んでました。食堂でも食べてみましたが、大変美味しかったです。
ちょうど連休ということもあり、家族連れ・親子連れで賑わってました。

海産物を堪能した後、100円バスでまた八戸まで戻り、お土産など買って 16:16 八戸発のはやぶさ30号で 19:04 東京到着、帰宅しました。

感想

2013年に高野山・比叡山。
その後2-3回ほど京都旅行の機会があり、都度あちこちの寺社を巡り、東西本願寺・真言宗・臨済系のお寺参り。
2016年に身延山(日蓮宗)、福井の永平寺(曹洞宗)。
そして2018年に恐山と、ついに日本仏教三大霊場を制覇、さらに主要宗派の本山系をお参りできた。

東北地方では、死者の魂は恐山に集まるという信仰が根付いている。
そのため、恐山に来ることで死者と対話できる(物理的な意味ではなく、多分、それぞれの心の中で)。
自分の場合、特にそうした信仰ベースがなかったこともあり、恐山に来てみて、亡くなった親族が「いる・ある」ような感覚は感じなかった。
しかし、自分は感じないものの、積み重ねられた膨大な小石の山。そこかしこの地蔵・菩薩像に山のように積まれた供物。石に彫ってある死者の名前。
死者に関する膨大な思念が、恐山という場所に凝縮されていることは確かに感じた。

恐山が最初に開山したのは、890年代に天台宗による。その後、紆余曲折があったらしく今は曹洞宗管理となっている。
念仏、浄土、真言などのツールを持たず、臨済とも違い、「ただ坐る」を極限まで煮詰めた曹洞宗だからこそ、膨大な死者への思いを受け止める・・・というか、うまく恐山そのものへ素通しできているのではないかと、そんなことを感じた。
なんというか、恐山への思いは、念仏とか浄土とか真言などの仕掛け・設定・方法論で味付けできるようなものでもないし、それが助けになるような代物でもない気がした。
「恐山に行けば、亡くなったあの人と会える・話せる、感じることができる」という世界観に対して、そうしたツールは余分でしか無い。
生と死に禅という形で体当たりしてきた曹洞宗だからこそ、参拝者の中の恐山への想いをあるがままに昇華させられるのではないか。
そんなことを考えた。

三大霊場はそれぞれ特色があった。以下は個人的な見解。

  • 観光第一は高野山。紀州の山奥だが、周辺の観光スポットも多く、寺域も観光色を強く出していて、観光しやすい。
  • 交通の便第一は比叡山。京都から1時間ほど観光バスに揺られるもよし、車の便も良し。
  • 峻厳第一が恐山。観光スポットでもないし、交通の便も悪い。たとえ観光で訪れたとしても、「今、そこ」の死者への想いに圧倒されることは確実。

恐山は2つの意味から、「終点」だな、と感じた。
1つは、霊場としての日本仏教の北端であること。膨大な思いが集まる霊場・寺域としてはおそらく日本最北であり、東北の地元にがっつり根を下ろしている。
2つは、生死の終端であること。これはもうそのままで、「死ねば恐山に上る」とまで信仰されてる以上、死の終端になっている。

恐山は単なる観光スポット・奇景スポットではない。今、同じ時間を生きる人達の、死者への思いがリアルタイムに染み込んでいく。同じ空気を吸う。
つまるところ、今なお運営され続けている墓地・霊園と同等に感じる。
それが、観光スポットとして強く押し出されている他2つ・高野山、比叡山との大きな違いに感じた。

ようするに観光色薄め、真面目な場所でした。

ちなみに、心霊現象とか幽霊の話は、無いそうです。
実際行ってみて、「幽霊になったとしてもこんな場所に長居したくねーなー・・・」と思うほどの荒涼とした場所。
そんな場所で、そこかしこに地蔵・菩薩像があって新しいお供えが供給され、毎日毎日読経されてりゃ、むしろ幽霊となって恐山に留まる方が難しいのでは・・・とすら感じました。
もうね、地蔵や観音菩薩によって、即成仏ですよ。幽霊となってあの場所に出た日にゃ。


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更新者: msakamoto-sf
更新日: 2018-07-23 00:24:59
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日記/2018/05/07/最近の仏教思索(2)  

所有者: msakamoto-sf    作成日: 2018-05-09 01:10:40
カテゴリ:
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更新者: msakamoto-sf
更新日: 2018-05-09 01:10:54
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日記/2018/05/05/奈良旅行の感想  

所有者: msakamoto-sf    作成日: 2018-05-05 20:25:45
カテゴリ:

2018-04-30 から 2018-05-04 まで、4泊5日で奈良エリアの遺跡・寺社仏閣を回ってきた。
主な目的:

  • 聖地巡礼 :「火の鳥」ヤマト編/鳳凰編、「三つ目がとおる」(酒船石遺跡)、諸星大二郎「暗黒神話」(亀石など)、山岸凉子「日出処の天子」(飛鳥・斑鳩エリア)
  • 仏教伝来~奈良仏教が興った場所を実際に行ってみて、仏像や寺などの物見遊山。

結果として、奈良旅行におけるメジャーどころをほとんど巡ることができた。
行ってないのは、石上神社~三輪神社の山の辺の道エリアだが、三輪神社については学生時代に行ってるのと、今回は仏教の「起点」を見に行くという目的なので外した。
(じつは大学3年か4年に、古事記や同様に三つ目がとおる・暗黒神話系をテーマに奈良、特に飛鳥エリア・三輪山エリアは回っている。今回は仏教の起点テーマなのと、折角なので飛鳥エリアをもう一度回って、写真撮ってみたい、という目的)

5日間、延々と歩き回って寺を回って、しばらくお寺参りは行きたくない位に回り尽くした。

(全て表示する)
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更新者: msakamoto-sf
更新日: 2018-05-05 20:26:05
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日記/2018/03/24/最近の仏教思索  

所有者: msakamoto-sf    作成日: 2018-03-24 22:36:31
カテゴリ:

仏教についての最近の思索。

第一の小歓喜:2017年末~2018年始(よく覚えてない。多分年末年始前後1-2ヶ月のどこか)。風呂の中でぼやーっと仏教について考えていたら、2500年前のゴータマ・シッダールタの言葉が未だに人間心理を整えるツールとして使えるということについて突然の激しい感動を覚え、風呂の中で涙が止まらなくなった。釈迦への感謝が止まらなくなった。

第二の小歓喜:2018年3月。風呂の中でぼやーっと仏教について考えていたら、「観想」について、五感と同様の位置づけで自分の心の動きを見つめる、それにより何が苦しみ(渇愛)を生み出しているのか原因を見出し、苦から離れるための実践技法であることが突然、腹落ちして、風呂の中で涙が止まらなくなった。これを理論立てて2500年の年月に耐えうる教義の基礎を気づいた釈迦への感謝が止まらなくなった。

第一と第二の間か、もしかしたら第一のときかもしれないが、そこで仏教が説くところの苦しみ、特に心の苦しみについて、多分、分かった。というのも冬の疲れが溜まっていたのか大分精神状態が悪く、とにかく疲れていたのだが、その時、自分の思考とはまるで関係なく、心の中で渦を巻くようなドロドロした思念が暴走していることを感じた。
それを感じたのは別にその時が初めてではなく、これまでの人生で多かれ少なかれ時々感じていたのだが、この暴走状態にあると結局何をしても気が晴れない。少し高い金出して外食しても駄目。マンガ読んでもアニメ見ても駄目。他の遊びは知らんが、旅行しても完全には回復しない。

今まではこれは季節の憂鬱、あるいは仕事におけるキャリア云々ストレス云々のメンタルヘルス云々だと思っていた。

しかし今回、突然、これが仏教における「苦しみ」「渇愛」だと認識した。というか、まさしく「渇愛」という表現がピッタリ当てはまる。愛というか、とにかく恐ろしい飢え、渇き、それを満たそうとする獰猛な外への暴走。どう収めればよいのかも分からない、年に数度苛まれる憂鬱さ。やけ食いに駆り立て、体重が増える一因となってきた精神状態。

なかなか言語化できなかったが、一言にまとめると「苦しいから、助けてくれ」。どう助けてほしいのかも分からない。煩悩というけれど、この精神状態を「苦」だと認識してようやく、心の中で燃え上がっている炎として苦しみを感じるようになった。

といっても、毎日毎日そのような精神状態にあるわけではない。仕事などのストレス、あるいは疲れが高じるとそのような状態に時々なる。まぁ、ようするにやっぱり苦しいのだろう。

もちろん「苦しみ」だと観じたことで、それが消えるわけでは無い。ただ、一つ理解が進んだことは確かだと思う。

第二の後、風呂に入ってる間に少し瞑想をしてみた。良いアイデアは風呂に入っててぼーっとしてると湧くことが多いのだが、風呂に入ってると体がリラックスして、音も基本的には静かで、視覚も風呂場の壁とかタイルを眺めてることになり、基本的に刺激が少ない状態である。そのため五感からの刺激を抑え、その分思考に頭を使えるのが良いのだろう。

それで気づいたのだが、例えば「だんご3兄弟」の歌や最近見たアニメのOP/EDが頭の中でエンドレスに再生される現象について、これは耳の刺激を心が勝手に再生しようとしているらしい、ということ。ほっといても脳内でエンドレスにリピートされる。止めようと思っても止められない、止めづらい。

他にも他人との会話を良く脳内妄想するのだが、それも一度始まると中々止まらない。

で、こうした脳内で勝手に走る記憶の再生、あるいは妄想は、没入感が高まると他の感覚に気づかなくなる。分かりやすい例で言えば、風呂に入ってて一番刺激が強いのが換気扇の音なのだが、それが気にならなくなる。刺激として意識していない状態になる。再生や妄想の没入が突如終わった瞬間に、「あ、換気扇の音に気づいた。そうか、今までは脳内の再生や妄想に夢中で、気づかなかったんだな」と分かる。

だがこうした記憶の再生、あるいは妄想への没入も、全体としては「苦しみ」の一部になる。何らかの刺激をきっかけとして、勝手に昔の記憶が蘇り、思い出したくもない情景、音、その時の精神状態が再現され、後悔や慚愧の念が襲いかかってくる。

これをどうにかできるのか?例えばボリュームを絞るようにして最終的に音量ゼロにできないのか?というのを1-2日ほど風呂に入りながら試してみたが、まだできない。

できないのだが、できないなりに感じたことは、どうも心が、五感の刺激やそこからの自動記憶再生・自動妄想没入に『しがみついてる』ようだ、ということ。どうしても何かしらの五感や自動で湧き上がる記憶の再生・妄想への没入を止めることができない、というか、どうも心がそれを手放すのをひどく恐れていて、それが故に、アレコレ気にするのを止めることができないでいる。

自分の場合、心の中にこのような言語化された思考を行いつつも、勝手に脳内再生が始まったり突然黒歴史を思い出して呻きたくなったりするような、「勝手に何か走る」部分が併存している、と感じている。時として、勝手に始まる妄想に言語化された思考が引きずられることもあり、まさに「ふと我に返ると」、いやいやねーわそんなの、と冷静になれば否定するような思考に没入していたりする。

もしかしたら生物として不安を常に抱えていないと生き残れない、生存本能がそうさせているのかもしれない。五感をシャットダウンし、五感刺激に基づく認識の誘起すら抑制してしまったら、野生においてはとてもではないが生きていけない。常に周囲に気を配り、誘起する認識を直感として状況判断に活用することが生物としては必要だったのだろう。

ただ、それが度を過ぎると心が際限なくそれを求めてしまう。不安はあればあるほど良い。しかし、大きすぎる不安は心にとってはアレコレ悩むもとになるので良くない。また、そもそも不安に溺れた精神状態は健全とは言えないだろう。

心が求める不安とは、暗闇の中周囲を照らすための松明のようなものなのかもしれない。明かりがあるに越したことはないが、強すぎる炎は目に悪いし、そもそも持ってる手も熱くて火傷してしまうかもしれない。

心が暴走するようなひどい状況は、心が不安を際限なく燃え上がらせ、しかも自ら燃え上がらせた炎で火傷してしまっているような状態なのかもしれない。

ここまで認識が進めば、大分前進したように思える。苦しみは何かを知った。心の中で苦しみが渦を巻き、あるいは心がそれにしがみつくのを観じた。

この先はどうしようか。

心がしがみつく炎を消すことはできるのか。消したら、暗闇になるのではないか。そこに何が残るのか。あるいは、そもそもこの炎で照らして浮かび上がったものは、正しいのか?物理の世界ですら、木を燃やした炎で照らされるのはせいぜい可視光の領域で、赤外線・紫外線の領域を人間が視覚として捉えることはできない。であれば、もしや「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ではないが、せっかく火傷してまで我慢して燃やした炎で照らし出されたシロモノは、もしかして大きな見間違いを犯しているのではないか?

心にとって、現実は、不安という炎で照らし出さないと何も見えないほどの暗闇なのか?

そもそも仏教を学び、瞑想のマネごとでここまで認識を進め、さらにその先を学ぼうとする動機は何になるのか。

結局の所精神分析は技術ではある。技術を学んだからと言って不老不死になるわけでもなし、宝くじが当たるでもなし。そもそもお釈迦様だってキノコの料理で食あたりしたかなにかで、お腹壊して苦しみの中で死んだので、安寧な死を得られるわけでもなし。お釈迦様がその意識を保ったまま転生した、という話も聞かない。(チベット仏教の世界観で生まれ変わりで意識を引き継ぐ事例はあるらしいが)

仏教をちゃんと学ぼう、と思ったきっかけは、ひろさちや氏の著作を読み、自分がどれだけ他の人を呪っていたか、それがどれだけ自縄自縛の罠にハマっていたのか、を気づかせたくれたことにある。

すくなくともWebのエンジニアとして自らを縄で縛り付け、もがき、その苦しみの中で他人を見下し蔑んでいた地獄からは抜け出せたと思う。

他人を呪いたくない、見下したくない、蔑みたくない。そのような狭量な人間になりたくない。そういうのも仏教を学んだ動機ではあった。

しかしながら、それだけで苦しみが無くなるわけではなく、その後も転職や転職先でのアレコレで、精神状態がひどく悪くなったときもあったけど、良いときのほうが多くなってきたとは思う。

それでも婚活をしてみれば自分がまるで人でなしのように思えてくることもあるし、仕事でうまく回らないことがあればストレスを感じてやけ食いしたり感情の暴走が止まらなくなるようなときもある。

総じて、自分自身についての苦しみからまだ逃れられているわけではない。


第一の小歓喜の前後で気づいたことがもう一つあり、初期仏教の世界では平均寿命がまだまだ短かったし、人もあっけなく死ぬ世界だった、ということ。
子供が死ぬ。成長しても、ちょっとした病気で死ぬ。骨折が治らない。大きな怪我も満足に治らない。抗生物質も無いので流行り病であっという間に死ぬ。現代日本と比べれば紀元前のインド世界は、当然盗賊や戦争など、物理的に殺される危険も遥かに高かった。

仏教が生まれる土壌となったウパニシャッド哲学やヒンズーの世界観は輪廻転生がある。そこにヴァルナ制(カースト)が加わり、死んで生まれ、生まれて死んでを繰り返し、そのたびに人間の一生の苦しみや、動物の苦しみを味わうことになる。一応「天人」とよばれる神々の世界もあるが、天人ですら老いがあり、死があるらしい。なので、どのレイヤーの生を得ても、必ず死んでまた生まれ変わり、また死んで、の繰り返しになる。

現代日本と比べれば、人生の「楽しみ」も遥かに少なかったはずだ。

ゴータマ・シッダールタは、そのような世界観の中で、その苦しみから抜け出すことを「涅槃」と呼び、方法を教えた。涅槃に至れば、もはや生まれ変わることはない。苦しみがそこで終わる。業が尽きる。輪廻転生の苦しみから、川を渡り、その苦しみから逃れた「到彼岸」が初期仏教における修行の目的と理解している。

だが涅槃が具体的にどのようなものか、涅槃に至ったら人はどうなるのか、については正直、よくわからない。先にも書いたが、お釈迦様自身がキノコ料理で食あたりして苦しんで亡くなってるので、「なんだ、いくら悟っても結局苦しんで死んじゃうじゃん。」と言われてしまえばそれまである。
また、生まれ変わることが無い以上、本当にそこで終わりで、その後どうなるか誰も観測できない。死んだ後のお釈迦様が、彼岸でその後どうなったのか、観測できないのだ。

現代日本であれば平均寿命は80才という時代。つまり、お釈迦様の時代の人間で言えば少なくとも二人分の人生を生きることになる。

ここで気づいたのだが、現代日本においては小中高という学生時代に、やれいじめだの受験だのクラス内での人間関係だのがあり、大学入って一息ついたら次は就職活動でドタバタし、会社に入ったら仕事や人間関係で苦しみ、恋愛や婚活で苦しみ、結婚で苦しみ、結婚した後の夫婦生活でもコミュニケーションで苦しみ、子供が生まれたら子育てで苦しみ・・・

人生上のステージ全てで苦しみがある。

まさしく、古代インドの二人分の人生を生きようとしているのに、30-40代で転職やら結婚やらの人生の大きなターニングポイントがあるからこれを転生と捉えれば、まさしく次の人生も苦しみに満ち満ちている。

現代の日本人は、古代インド人が本当に生まれて死んでを2回繰り返す苦しみを、一人の一生で意識を保ったまま味わっていることになる。

であれば、ここでこそ、まさに仏教が役に立つのではないか。人生、どのステージに進んでも苦しみが尽きることは無い。それは古代インド人が何回も転生を繰り返しても、生まれて死んでの繰り返しで苦しみを味わい続けるのと同じような絶望ではないか。

ここにおいて、現代日本の生活における「到彼岸」をどう捉えればよいのか。仏教をどう捉え直せばよいのか。時代にあわせた再解釈をどうすればよいのか。

などなどが、最近は気になっている。


外向的な人、内向的な人。これは心がしがみつこうとしている刺激を、外の五感に求めるか、内の心の自動再生・自動妄想に求めるか、の違いではなかろうか。

何を楽しいと感じるかは人それぞれだが、「楽しい」と思うことにしがみつこうとしていることは変わらない。

ただ、受動的な楽しさなのか、能動的な楽しさなのかは、大きく質が違ってくるような気がする。

クライミングに夢中になる。走ることに夢中になる。絵を描くことに夢中になる。モノを作ることに夢中になる。

この「夢中になる」という状態が一つの参考になるような気がする。

子供の集中力はスゴイ、という話がある。あれは、人生を過ごした中で五感で取り入れた記憶が圧倒的に少ないが故に、心の自動再生・自動妄想が大人ほどは暴走しない故に、あとはそれ以外の五感のいくつかをシャットダウンすれば正しく「夢中」になりやすい、だからではないか、とも思う。

プログラミングで一度、本当に外の声が聞こえなくなるほど集中したことがある。もしかしたらあれが「三昧」(サマーディ)だったのかもしれない。

あれが、心の松明を消し去った状態なのだろうか。

あれを、プログラミング以外で再現できないだろうか。


二度の小歓喜、というか圧倒的な仏教への、お釈迦様への感動と感謝の感情の奔流を感じて、「これはもう戻れないな」という感じもある。

アイドルオタクが、推しメンバーのステージに涙を流し、感動するのと同じようなものだろう。

つまり、アイドル沼ならぬ「仏教沼」にハマったのだろう。

今までは「えせ仏教徒」などと自虐感を込めてうそぶいていたが、今後は「仏教オタク」と名乗ることにしようか。


最近仏教について考えてることは、以上です。


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更新者: msakamoto-sf
更新日: 2018-03-25 00:18:36
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Java/セキュリティ機能の公式ガイドメモ  

所有者: msakamoto-sf    作成日: 2018-01-28 20:49:42
カテゴリ: Java 

Javaの「セキュリティ機能」は複数の異なる領域をカバーしている。そのため、ドキュメントの迷子にならないよう、ざっくり整理した。
(2018-01時点のJava8ドキュメントをベースに整理した)

Oracle Java 開発者ガイドからの入り口

Javaのセキュリティ機能の分類

一口に「セキュリティ機能」といっても、暗号化, PKI, SSL/TLS という「いかにも」な機能から、認証機能、アクセス制御、XML署名というニッチな機能もカバーしている。

概要ドキュメントをベースにしつつ、歴史的な経緯や正確性を無視してざっくり3分野に分けた。

1. 暗号技術をベースとした機能群

JCA : Java Cryptography Architecture, 暗号技術の各種アルゴリズム実装を提供する共通基盤アーキテクチャで、以下のような機能を提供している。

  • MessageDigestアルゴリズム
  • デジタル署名アルゴリズム
  • 対称鍵暗号(ブロック/ストリーム暗号)
  • 非対称鍵暗号(公開鍵暗号)
  • パスワードベース暗号化(Password-based Encryption)
  • 楕円鍵暗号(Elliptic Curve Cryptography)
  • 鍵合意アルゴリズム(Diffie-Hellman等で使う)
  • Key Generator
  • メッセージ認証コード(MAC : Message Authentication Code, HMAC : Hashed MAC)
  • 乱数生成器, 擬似乱数生成器(PRNG : Pseudo Random Number Generator)

JCAをベースとしたセキュリティ機能としては、PKI, 通信経路のセキュリティ, XML署名を提供している。

公式ガイド:

PKI : 公開鍵インフラストラクチャ

暗号技術のうち、公開鍵暗号とデジタル署名をメインとした応用技術。
鍵および証明書ストレージ, PKI用コマンドラインツール(keytool, jarsigner)を提供している。

公式ガイド:

通信経路のセキュリティ

暗号技術を活用した通信経路(プロトコル)のセキュリティを実現する。

公式ガイド:

XML署名

XML署名の生成・検証用APIが提供されている。
公式ガイド:

  • Oracle 公式開発ガイドからは、セキュリティトップから「XMLデジタル署名」,"XML Digital Signature" を参照のこと。

2. アクセス制御

どこからロードされたJavaクラスか、署名データなどを元に、JavaのAPI呼び出しやファイルアクセスなどに対するアクセス制御を実現する。
例としてはJava Appletやプラグインアーキテクチャがある。こうした「信頼できないコード」に対して、 `System.exit()` を始めとした「危険な」(= 信頼できないコードをホストする実行環境から見た場合に、実行・アクセスしてほしくないリソース・機能へのアクセス) API呼び出しを制限するような場合に活用する。
"SecurityManager", "Permission"という単語が出てくると大体この分野の話。

公式ガイド:

  • Oracle 公式開発ガイドからは、セキュリティトップから「ポリシー」(Policy)関連のトピックを参照のこと。

3. 認証機能(JAAS : Java Authentication and Authorization Service)

Kerberos, スマートカード, LDPA/NIS, PKCS11 などによるユーザの認証(Authentication)・承認(Authorization)フレームワークを提供する。
アクセス制御の中で、アプリケーションが認証したユーザに基づくアクセス制御(承認)を実現したい場合に活用する(らしい)。

公式ガイド:

  • Oracle 公式開発ガイドからは、セキュリティトップから「Java Authentication and Authorization Service (JAAS)」関連のトピックを参照のこと。

Provider方式とプロバイダ名のメモ

感想

以下は筆者の感想。

  • Webアプリケーションのサーバサイド開発でJavaを用いる場合は、主にJCA, SSL/TLS, PKI関連技術が用いられることになるだろう。
    • とはいっても、HTTPSの設定はApache/nginxなどリバースプロキシか、やってもTomcatなどのアプリケーションサーバ側の設定でカバーする場合が多くなり、これらの詳細な知識が求められる場面は少なくなってきたかもしれない。
    • 非常に古いJavaや、非常に古いシステムと通信する際に、手動でカスタマイズが必要となったりする。
    • SOAPなどXML通信を扱う場合はXML署名を使うこともありそう。
  • 今では滅多にJava Appletで開発することが無くなった。アクセス制御や認証機能などは今はどんな領域で使われているのだろうか?
    • JenkinsやCMSのように、不特定多数の人間が信頼できないプラグインをロードしたり、JavaScriptのJava実装(Nashorn)やGroovyなどの動的JVMスクリプト言語を動かす場合のSandbox環境の構築で使われているのは確か。
    • ユーザが任意のコードを動かすデスクトップアプリケーションにおいては、Javaのアクセス制御機能で何を守るのかから考える必要がありそう。


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更新者: msakamoto-sf
更新日: 2018-01-28 20:50:17
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技術/Security/Nmap  

所有者: msakamoto-sf    作成日: 2018-01-28 13:57:46
カテゴリ: Nmap セキュリティ 

Nmapの参考URLのメモ。

使い方と公式リファレンス:

スキャンのパフォーマンス、特にUDP関連:

豆知識系:



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更新者: msakamoto-sf
更新日: 2018-01-28 13:58:24
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