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日記/2009/11/13/自縄自縛

日記/2009/11/13/自縄自縛

日記 / 2009 / 11 / 13 / 自縄自縛
id: 472 所有者: msakamoto-sf    作成日: 2009-11-13 11:32:12
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幼稚園位の頃、小児喘息でよく家で寝込んでいた。またそのせいで体力が無く、運動音痴だった。
走り回る他の子供たちの輪に入れず、運動ではなくて勉強で認めてもらおうとした。
幸い家で寝込んでいる最中は、学習漫画を読む時間に事欠かず、知識面では他の子供たちより背伸びする事ができた。

周りより抜きんでた知識や技術を持つ事に拘ってしまうのは、子供の頃の体験をベースとし、知識や技術でもって周りから認められたい、役に立つ人間だと思われたい、という思いがあるからだ、という事にようやく気づいた。だから自分より深く技術を知っている人間と出会うと、自分の存在価値を崩される危機感を感じて不安になるし、そうでない人間と出会うと、安心してしまう。

技術書を読む時間も取れないのに買い込んでしまうのも、「いずれは読むのだから=自分の技術・知識になるのだから」と、自分の存在価値を補強しようとしているのだろう。時々本棚を人に見せたくなるのも、「自分はこれだけの本を読んだ、あるいは読んで勉強しようとしている=価値のある人間だと認めて欲しい」という思いがあるからだろう。

一方で、プログラミングの世界というのは幅は広いし深さもピンキリ。マシン語の世界からスクリプト言語の世界まで、あるいはネットワークの世界やハードウェアの世界など、一生かけても網羅しきれるかどうかという世界。システム開発の技法にしてもウォーターフォールやアジャイル、スパイラル開発など出てくるし、開発のサポートツールにしてもバージョン管理やビルドシステムなど次から次へと出てくる。

そういう世界に身を置きながら、「周囲より抜きんでた知識・技術を持つ事が自分の存在価値」としてしまう生き方・考え方は、蟻地獄に嵌ってしまったようだ、ということにようやく気づきつつある。

周囲の技量が低ければ満足感は得られるが、逆に「自分の持つ技能が活かせない」と物足りなさを感じてしまうし、かといって周囲の技量が高ければ、「自分の存在価値が無いのでは」と焦りを感じるし不安に思い、「あの言語もこの言語も勉強しないと駄目だ、ネットワークも勉強しないとアレも勉強しないと」とプライベートタイムを費やして勉強しなければ、と思う技術知識は積もっていくばかりだ。

さらに、一方では「エンジニアは~~でなければならない」論が渦巻き、「コミュニケーションに長けていなければならない」「ホウレンソウをしっかり行わなければならない」「技術者のリーダーはかくあるべし」「経営の視点を持たなければならない」云々。「これからはアジャイル開発だ」「テストファーストだ」「人が問題だ」「やる気が、モチベーションが」「組織がどーたらこーたら」云々。
そういうのを目にする度に、自分の存在価値を自分で認める為には、「認めて貰えたと錯覚」するには、「キャッチアップ」というお題目の下、@ITや自分戦略研究所だの日経○○だののWeb記事を日々チェックし、ハテブをチェックし、他人の呟きを必死にかき集めて自分のものと錯覚する為の毎日が続く。

日々の仕事を真面目にこなそうとし、更に重ねてWebの世界の潮流が気になって仕方がない、という生活を送る。自分の存在価値を高めようとしてWebの世界の情報・記事や新技術にキャッチアップしようともがくたびに、日々の仕事とのギャップは開き、さらに悩みが増えていく。

自分自身で、自ら蟻地獄に嵌りに行ったようなものだった。

仕事に不安を覚えるたびに、「自己分析が足りていない」と過去をほじくり返し、その度にトラウマ紛いの思い出にぶちあたり「やはり自分は○○に向いていないんだ」と落ち込む。周りに対する感謝の気持ちなどそっちのけで、ネガティブ方向に「自分が、自分が」と内向きに落ちていく。

転職先では早く馴染まな「ければならない」、新しい職場の仕事の進め方に早く慣れな「ければならない」、将来どういう人間と職場で一緒になるのか分からないから、どんな人間とも上手く付き合えな「ければならない」・・・「~でなければならない」のオンパレード。「~でなければならない」お題目通りにできない、そう感じる毎に、「やっぱり自分は~」と自己否定に走り、「やっぱりこの仕事には向いていないのでは」と不安が募り、別の仕事・会社に目移りする。

蟻地獄を作っていたのは自分自身で、間抜けな事に自分で創った蟻地獄に嵌りに行ったのも、これまた自分から進んで嵌りに行った、というわけだ。

とある出向先のとある部長に、「君は、欲張りだな」と言われた。同時に「最強って何だと思う?」とも聞かれた。恐らく、自分のこうした性質を見抜いていたのだろう。

社会人になってからの対人行動の全部が、「自分を認めて欲しい、必要だと言って欲しい、愛して欲しい」という自己憐憫や自己愛ベースの、他人の気持ちなど毛ほども考えない自分勝手な行動だった。

  • 2004-2005年の仕事の躓きも、「自分ならJavaのオブジェクト指向を使ってすごいのを作れる」という慢心と、「そんなすごいのを作れる自分はすごいでしょ、と認めて欲しい」という自己愛にまみれて進めた仕事の末路として当然だった。
  • PHP勉強会に時々参加しては小さなネタを発表するのも、「PHPでだったらここまで発表できるんだ、すごいでしょ」という自己愛や、「外の勉強会で発表までしている自分はすごいでしょ、認めてよ」という慢心・押しつけに根ざしていた。だから、どこかでいつも発表している自分自身を滑稽に思ってしまう自分が居た。発表する事それ自体にも、何処かしら罪悪感というか不安感を感じていた。
  • 2005-2006年の仕事の躓きは、「自分の技術力はすごいでしょ?」という承認を他人に対して押しつけた挙げ句、仕事の進め方それ自体が稚拙で全くなっていなかったギャップに対して、これまで自分で慰めてきた自分像のメッキが剥がれていく事に恐怖した。
  • 2007年以降も、やれSubversionを使いましょう、Tracを使いましょう、Redmine良いですよ、と社内の人間相手に吹聴してまわったのも、「自分だったら外の世界にこんな伝手がある、外の世界をこんなに知っている、だから役に立ちますよ、認めてください」という承認の押しつけが裏側にあった。本気で仕事のカイゼンに無私で取り組む気持ちなど欠片も無かった。だから現場が動かなかったのも当然の帰結だった。
  • 適応障害で壊れてしまうのも、「今のままの自分では役に立たない、認めて貰えない」不安感を元に、「自分を見て欲しい、振り向いて欲しい、慰めて欲しい、優しくして欲しい」という自分勝手な思いが、遅刻欠勤の増加、勤怠不良、果てはメンタルクリニックに駆け込むなどの行動に駆り立てていた。

全部が全部妄想の中の独り相撲で、自己愛と自己憐憫と自己承認の押しつけで、蟻地獄に落ちた挙げ句が適応障害だのでメンタルクリニックに駆け込んで、プロジェクトをドロップアウトして周りの人間に負担を強いるだけ。

反吐がでる。

・・・けどまぁ、メッキ剥がしてお面を外してみれば、自分も良くいる凡夫の一人に過ぎなかったという事で。


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現在のバージョン : 1
更新者: msakamoto-sf
更新日: 2009-11-13 14:11:33
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