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日記/2013/04/28/力を抜こうと書いてあるだけなのになんで怠けるなと怒られるの。

日記/2013/04/28/力を抜こうと書いてあるだけなのになんで怠けるなと怒られるの。

日記 / 2013 / 04 / 28 / 力を抜こうと書いてあるだけなのになんで怠けるなと怒られるの。
id: 1189 所有者: msakamoto-sf    作成日: 2013-04-28 20:57:34
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(ついにこれを書く時が来たか・・・。)
※本エントリはmsakamoto-sfの個人的な見解で、所属する会社の業務内容や本人の業務に対する姿勢とは関係ありません。(いや、内容としては若干関係ありますが、別に会社に対する不満とかそういう視点にはつながりません)



いや何と言うか、多分元の脱社畜ブログの趣旨としては、皆して他人の仕事を手伝って貢献し「なければならない」で縛りあって仕事してるのはおかしいから、度を越したら、職責範囲できっちり線を引こうよ、という内容なのかなーと思っていたら、なんか「それやったら何もできない人になる」とか、まるで怠け者になるのを推奨しててケシカラン!みたいな内容が出てきたりして、やっぱり議論というか人間として何か物を書いたり言ったりして表現したくなる、その背景というのは大事だよなぁと。
まぁ話の筋としては脱社畜ブログの返しで自分としては頷いて終わりですし、そろそろはてブのホットエントリから外れつつあるのであと数日で忘れ去られるトピックでしょう。

仏教的には喜捨がーとか布施のーとか中道がーで終わる話で。

なので、あまりにもドライなのは潤滑剤が足りなくなりそうなのでなんだかなーです。

とはいえ、個々人がお手伝い出来るリソースにもそれぞれなりの限界があるわけでして。

給料にカウントされないのであれば、あるいはされたとしても、やっぱり「ゴメン、私も手伝えるのはここまで!」というリミットが存在するわけです。

あるいは手伝いではなく普通に仕事を任された場合でも、「いや~、こんなに立て続けに仕事積まれても、これが限界でしょ!」というリミットが存在するわけです。

なので、職責がどうの~とかそこまでドライに考えなくても、あっぷあっぷになりそうなら「お手上げ」しちゃっても良いわけです。

だから、頑張り過ぎちゃう人向けにはもっとお手上げしちゃっても良くて、あるいはそれすら難しそうなら、止むを得ずドライに「じゃ、お先に」って帰っちゃっても良いわけです。

「仕事に対する責任が~」という話もありますが、別に誰も、怠けたくて「これは俺の仕事じゃない」なんて言い出すわけじゃないかと。(怠けたくてそんな事言い出すような人は、もうちょっと別の面で精進してもらう必要が。)
自分が提供できるリソースに、限界が来てしまったので、やむなく「ゴメン、これは無理だったわ・・・」となるわけです。別に怠けたくて仕事を放り投げるわけではないはずです。その人なりのベストであったりベターを尽くした結果「お手上げ」になったので、そこはまぁ、もうちょっと早めに状況を共有するとか、周りでサポートするとか月並みな意見になりますが、何も、怠けたくて悪気があってお手上げするわけじゃ無いのだから・・・と思わなくも無いです。(もちろん限度や普段の人付き合いや勤務態度はあると思いますが)

で多分脱社畜ブログが問題視してるのは、それが出来ない環境というか世間様というところで。

「~しなければならない」というのは「~しておけばこうなる」のを期待した縛りかな~と。で、それがまさしくgothedistanceでも書かれている「何にもできない人になる」という一種の脅迫でして。
スキルアップしないと生き残れませんよ、この先生きていけませんよ、餓え死にますよ、ほらあの貧乏人を見なさい、ああなりたくは無いでしょう?と。
だからもっとビジネスマンにならないと行けませんよ、自分で仕事を作れる人間にならないとイケませんよ、云々。

結局、恐怖を植えつけて、それに対する焦燥感とか漠然とした不安感でもって、延々と努力し続け、頑張り続けることを強いられてる・・・というのは語弊があって、知らず知らずのうちに勝手に自分の中でそうしたジャスティスを組み立てて自縄自縛してるのではないかなと。

それに対する返答はまぁ仏教的には「空」であったり「中道」であったり、あるいは上座部仏教を持ちだしてもマッチすると思います。

自分の中の根っことして「こうしたい」というピュアな衝動というか方向性(あえて「欲望」とは書きません)に基づいて他人と自分の幸福のために頑張るのは多分本人としてもやりがいを感じてラッキーなんでしょうが、そうでなくて、「ああはなりたくない」「みんなああしてるから、自分もこうしないと駄目なんじゃないか」と漠然とした不安や恐怖、焦燥感にじりじりとパワーを使い潰していくのは、あまりハッピーな状況じゃないと思います。別にそれでも悪い結果が出るとは限らないのですが、でもあんまりそればっかりに長くリソース配分していくと、月並みな表現ですが心が擦り切れていきますので、やっぱり心身ともに良い影響は無いと思います。

個人的には、極端な話ですが、人生一度は1年くらいニート生活してみると良いと思うんですよね。何もすることが無くて只の消費に溺れてしまうようであればそれは後々苦労しそうなので正したほうが良いでしょうし、自分で勝手に何かしら社会貢献・地域貢献・家族貢献的なことに動き出す人はそれで人生見つめなおしてもらえば良いと思いますし。

怠けては自分や他人に良い影響は与えられませんが、かといって力みすぎて、力み続けても、いつか自分や周囲に疲れが溜り、やれうつ病だー、突然会社に来なくなったー、だの、やっぱり自分や周囲に悪い影響が出てしまいます。

ほどほど(中道)、それが自分の中でどれ位なのか試してみて、適度に無理しない程度に、うまーく「力を抜く」やり方で毎日を過ごしたほうが、良い関係が長続きしそうに思うんですがどうなんでしょうかね?

なんというか、スポーツでは「力を抜く」というのが、ある程度のスキルレベルに到達した目安と捉えられてると思うんですが、なんでスポーツよりもっと人生に密着する「お仕事」で「力を抜く」というのがこんなにも前後の文脈ごっそり無視されて「怠けてたら飢え死にしますよ~、スキルアップできませんよ~、そんな人生嫌ですよね~?」と言われちゃうのか、ワタクシ, サパーリワカリマセン。

「~しなければならない」に縛られて毎日を爆進してると、人によっては生活習慣病にかかって寿命縮めますよ。
もっとヤバイと、生活習慣病とか病気になる前に、心身を病んでしまってドロップアウトしますよ。

ドロップアウトすると、マジで本当に「何もできない人」になっちゃいますよ?
そうはなりたくないですよね?
あなたの周囲にもいませんか?突然会社に来なくなってそのまま辞めちゃった人とか、いきなり休んで、うつ病やメンタル系の病気ですと診断書出してきて長期休養に入った人とか。

自分がそうなってしまったからこそ言っちゃいますが、そうはなりたくないですよね?

だから、「程々」にしましょうよ。食事するときも腹八分目、お仕事するときも腹八分目にしましょうよ。
仕事が溜まりに溜まって鬱々としだしたら、八分目に戻しましょうよ。
(いや、疲れを知らずノリノリでランナーズハイになってる人はそのままペース配分注意しつつゴールを目指してもらっても良いと思いますが。でも、少なくとも今自分が走ってるコースは短距離走なのか中距離走なのかフルマラソンなのかは把握して、ペース配分は考えたほうが良いと思いますが。)

そして、同じように「程々」を見つけて「お先に失礼」と変える同僚を、「あいつはあんなんだからスキルアップしないんだ」とか思わずに、普通に「お疲れ様~」と見送りましょうや。

そうすれば、今が地獄だとしても、多分地獄がもう一歩退いてくれるんじゃないかな~と考えてます。

で、どうしても限界が来てしまって、助けを求める余裕も無くお仕事で「ヤッチマッタ」とか極端な話ドロップアウトしてしまったとしたら・・・
その時は、「自分の体のほうが・心のほうが、『もう無理だから一旦安め』と壊れる前にブレーキをかけたのだ」と考えれば良いのです。(無宗教向け。仏教・キリスト教・イスラム教などであれば、「仏様が」とか「神様が」、一旦休めと言ってくれたのだ、と信者であれば自力で組み立ててくれると思います)
それによる周囲への悪影響や自分に対する評判に戦々恐々とするかもしれませんが、それに対しては
1.自分をここまで追い詰めた管理サイドがアカンのや!!と責任転嫁して、
2.でも周りに迷惑かけてしまってスンマセンと後でお菓子とか差し入れしたりとか、
3.あるいは何らかの形で貢献してくとか、
4.でも「貸し借り」という感覚はナシで。人間、生きる限りは誰かしらに迷惑かけるのだから、「お互い様」でプラマイ0と考えて。
という感じでスルー力を鍛えれば良いと思います。

ホントこの辺は・・・仏教含めて、世界三大宗教であればある程度は自分の中だけで組み立てられるようになってるのですが・・・如何せん、現代日本ではそこまで「お仕事」と人生と宗教のバランスが大分「お仕事」よりに偏ってしまってて、人間の限界に対して絶望しなくて済むよう、華麗に生き延びられるロジックとしての宗教がうまく手を差し伸べられてないように思うんですよね・・・。別に新興宗教まで持ちださなくとも、既成の三大宗教でそれなりにカバー出来るだけの歴史と厚みと蓄積がある筈なんですが・・・。少なくとも仏教には上座部・大乗ともにありますし、他の2大宗教でもカバー出来ると期待してるんですが。

弱くても・・・まぁ強いに越したことは無いのですが、弱くても、弱さを識別して認識して、弱いなりに生きていければ良いのですがね。

会社で働いてスキルアップしなければ何にもなれない人になる、とか。

そんな言葉で他人を急き立てる社会、あんまり気分良くないなぁ。というのが正直な感想です。

自分はこれだけ頑張ってる、というのを世間一般の水準としてしまって、「もっと頑張れるでしょ、もっともっと頑張れるでしょ」と、一時的に引っ張るのは良いのですが、延々と引っ張られていると何と言うか引っ張られる方も気づかれしちゃうでしょうよと。

人間だってナマモノなんですから、休憩も必要でしょうに、と思わなくもないです。

・・・それとも、そんな物言いする人たち、もしかして周りが悪意を持った、あるいは悪意を持たずとも、怠け者ばかりで、それの尻拭いとかにヒドイ思いをしてきたのでしょうか・・・。


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現在のバージョン : 1
更新者: msakamoto-sf
更新日: 2013-04-28 22:42:00
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