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日記/2018/03/24/最近の仏教思索

日記/2018/03/24/最近の仏教思索

日記 / 2018 / 03 / 24 / 最近の仏教思索
id: 1434 所有者: msakamoto-sf    作成日: 2018-03-24 22:36:31
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仏教についての最近の思索。

第一の小歓喜:2017年末~2018年始(よく覚えてない。多分年末年始前後1-2ヶ月のどこか)。風呂の中でぼやーっと仏教について考えていたら、2500年前のゴータマ・シッダールタの言葉が未だに人間心理を整えるツールとして使えるということについて突然の激しい感動を覚え、風呂の中で涙が止まらなくなった。釈迦への感謝が止まらなくなった。

第二の小歓喜:2018年3月。風呂の中でぼやーっと仏教について考えていたら、「観想」について、五感と同様の位置づけで自分の心の動きを見つめる、それにより何が苦しみ(渇愛)を生み出しているのか原因を見出し、苦から離れるための実践技法であることが突然、腹落ちして、風呂の中で涙が止まらなくなった。これを理論立てて2500年の年月に耐えうる教義の基礎を気づいた釈迦への感謝が止まらなくなった。

第一と第二の間か、もしかしたら第一のときかもしれないが、そこで仏教が説くところの苦しみ、特に心の苦しみについて、多分、分かった。というのも冬の疲れが溜まっていたのか大分精神状態が悪く、とにかく疲れていたのだが、その時、自分の思考とはまるで関係なく、心の中で渦を巻くようなドロドロした思念が暴走していることを感じた。
それを感じたのは別にその時が初めてではなく、これまでの人生で多かれ少なかれ時々感じていたのだが、この暴走状態にあると結局何をしても気が晴れない。少し高い金出して外食しても駄目。マンガ読んでもアニメ見ても駄目。他の遊びは知らんが、旅行しても完全には回復しない。

今まではこれは季節の憂鬱、あるいは仕事におけるキャリア云々ストレス云々のメンタルヘルス云々だと思っていた。

しかし今回、突然、これが仏教における「苦しみ」「渇愛」だと認識した。というか、まさしく「渇愛」という表現がピッタリ当てはまる。愛というか、とにかく恐ろしい飢え、渇き、それを満たそうとする獰猛な外への暴走。どう収めればよいのかも分からない、年に数度苛まれる憂鬱さ。やけ食いに駆り立て、体重が増える一因となってきた精神状態。

なかなか言語化できなかったが、一言にまとめると「苦しいから、助けてくれ」。どう助けてほしいのかも分からない。煩悩というけれど、この精神状態を「苦」だと認識してようやく、心の中で燃え上がっている炎として苦しみを感じるようになった。

といっても、毎日毎日そのような精神状態にあるわけではない。仕事などのストレス、あるいは疲れが高じるとそのような状態に時々なる。まぁ、ようするにやっぱり苦しいのだろう。

もちろん「苦しみ」だと観じたことで、それが消えるわけでは無い。ただ、一つ理解が進んだことは確かだと思う。

第二の後、風呂に入ってる間に少し瞑想をしてみた。良いアイデアは風呂に入っててぼーっとしてると湧くことが多いのだが、風呂に入ってると体がリラックスして、音も基本的には静かで、視覚も風呂場の壁とかタイルを眺めてることになり、基本的に刺激が少ない状態である。そのため五感からの刺激を抑え、その分思考に頭を使えるのが良いのだろう。

それで気づいたのだが、例えば「だんご3兄弟」の歌や最近見たアニメのOP/EDが頭の中でエンドレスに再生される現象について、これは耳の刺激を心が勝手に再生しようとしているらしい、ということ。ほっといても脳内でエンドレスにリピートされる。止めようと思っても止められない、止めづらい。

他にも他人との会話を良く脳内妄想するのだが、それも一度始まると中々止まらない。

で、こうした脳内で勝手に走る記憶の再生、あるいは妄想は、没入感が高まると他の感覚に気づかなくなる。分かりやすい例で言えば、風呂に入ってて一番刺激が強いのが換気扇の音なのだが、それが気にならなくなる。刺激として意識していない状態になる。再生や妄想の没入が突如終わった瞬間に、「あ、換気扇の音に気づいた。そうか、今までは脳内の再生や妄想に夢中で、気づかなかったんだな」と分かる。

だがこうした記憶の再生、あるいは妄想への没入も、全体としては「苦しみ」の一部になる。何らかの刺激をきっかけとして、勝手に昔の記憶が蘇り、思い出したくもない情景、音、その時の精神状態が再現され、後悔や慚愧の念が襲いかかってくる。

これをどうにかできるのか?例えばボリュームを絞るようにして最終的に音量ゼロにできないのか?というのを1-2日ほど風呂に入りながら試してみたが、まだできない。

できないのだが、できないなりに感じたことは、どうも心が、五感の刺激やそこからの自動記憶再生・自動妄想没入に『しがみついてる』ようだ、ということ。どうしても何かしらの五感や自動で湧き上がる記憶の再生・妄想への没入を止めることができない、というか、どうも心がそれを手放すのをひどく恐れていて、それが故に、アレコレ気にするのを止めることができないでいる。

自分の場合、心の中にこのような言語化された思考を行いつつも、勝手に脳内再生が始まったり突然黒歴史を思い出して呻きたくなったりするような、「勝手に何か走る」部分が併存している、と感じている。時として、勝手に始まる妄想に言語化された思考が引きずられることもあり、まさに「ふと我に返ると」、いやいやねーわそんなの、と冷静になれば否定するような思考に没入していたりする。

もしかしたら生物として不安を常に抱えていないと生き残れない、生存本能がそうさせているのかもしれない。五感をシャットダウンし、五感刺激に基づく認識の誘起すら抑制してしまったら、野生においてはとてもではないが生きていけない。常に周囲に気を配り、誘起する認識を直感として状況判断に活用することが生物としては必要だったのだろう。

ただ、それが度を過ぎると心が際限なくそれを求めてしまう。不安はあればあるほど良い。しかし、大きすぎる不安は心にとってはアレコレ悩むもとになるので良くない。また、そもそも不安に溺れた精神状態は健全とは言えないだろう。

心が求める不安とは、暗闇の中周囲を照らすための松明のようなものなのかもしれない。明かりがあるに越したことはないが、強すぎる炎は目に悪いし、そもそも持ってる手も熱くて火傷してしまうかもしれない。

心が暴走するようなひどい状況は、心が不安を際限なく燃え上がらせ、しかも自ら燃え上がらせた炎で火傷してしまっているような状態なのかもしれない。

ここまで認識が進めば、大分前進したように思える。苦しみは何かを知った。心の中で苦しみが渦を巻き、あるいは心がそれにしがみつくのを観じた。

この先はどうしようか。

心がしがみつく炎を消すことはできるのか。消したら、暗闇になるのではないか。そこに何が残るのか。あるいは、そもそもこの炎で照らして浮かび上がったものは、正しいのか?物理の世界ですら、木を燃やした炎で照らされるのはせいぜい可視光の領域で、赤外線・紫外線の領域を人間が視覚として捉えることはできない。であれば、もしや「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ではないが、せっかく火傷してまで我慢して燃やした炎で照らし出されたシロモノは、もしかして大きな見間違いを犯しているのではないか?

心にとって、現実は、不安という炎で照らし出さないと何も見えないほどの暗闇なのか?

そもそも仏教を学び、瞑想のマネごとでここまで認識を進め、さらにその先を学ぼうとする動機は何になるのか。

結局の所精神分析は技術ではある。技術を学んだからと言って不老不死になるわけでもなし、宝くじが当たるでもなし。そもそもお釈迦様だってキノコの料理で食あたりしたかなにかで、お腹壊して苦しみの中で死んだので、安寧な死を得られるわけでもなし。お釈迦様がその意識を保ったまま転生した、という話も聞かない。(チベット仏教の世界観で生まれ変わりで意識を引き継ぐ事例はあるらしいが)

仏教をちゃんと学ぼう、と思ったきっかけは、ひろさちや氏の著作を読み、自分がどれだけ他の人を呪っていたか、それがどれだけ自縄自縛の罠にハマっていたのか、を気づかせたくれたことにある。

すくなくともWebのエンジニアとして自らを縄で縛り付け、もがき、その苦しみの中で他人を見下し蔑んでいた地獄からは抜け出せたと思う。

他人を呪いたくない、見下したくない、蔑みたくない。そのような狭量な人間になりたくない。そういうのも仏教を学んだ動機ではあった。

しかしながら、それだけで苦しみが無くなるわけではなく、その後も転職や転職先でのアレコレで、精神状態がひどく悪くなったときもあったけど、良いときのほうが多くなってきたとは思う。

それでも婚活をしてみれば自分がまるで人でなしのように思えてくることもあるし、仕事でうまく回らないことがあればストレスを感じてやけ食いしたり感情の暴走が止まらなくなるようなときもある。

総じて、自分自身についての苦しみからまだ逃れられているわけではない。


第一の小歓喜の前後で気づいたことがもう一つあり、初期仏教の世界では平均寿命がまだまだ短かったし、人もあっけなく死ぬ世界だった、ということ。
子供が死ぬ。成長しても、ちょっとした病気で死ぬ。骨折が治らない。大きな怪我も満足に治らない。抗生物質も無いので流行り病であっという間に死ぬ。現代日本と比べれば紀元前のインド世界は、当然盗賊や戦争など、物理的に殺される危険も遥かに高かった。

仏教が生まれる土壌となったウパニシャッド哲学やヒンズーの世界観は輪廻転生がある。そこにヴァルナ制(カースト)が加わり、死んで生まれ、生まれて死んでを繰り返し、そのたびに人間の一生の苦しみや、動物の苦しみを味わうことになる。一応「天人」とよばれる神々の世界もあるが、天人ですら老いがあり、死があるらしい。なので、どのレイヤーの生を得ても、必ず死んでまた生まれ変わり、また死んで、の繰り返しになる。

現代日本と比べれば、人生の「楽しみ」も遥かに少なかったはずだ。

ゴータマ・シッダールタは、そのような世界観の中で、その苦しみから抜け出すことを「涅槃」と呼び、方法を教えた。涅槃に至れば、もはや生まれ変わることはない。苦しみがそこで終わる。業が尽きる。輪廻転生の苦しみから、川を渡り、その苦しみから逃れた「到彼岸」が初期仏教における修行の目的と理解している。

だが涅槃が具体的にどのようなものか、涅槃に至ったら人はどうなるのか、については正直、よくわからない。先にも書いたが、お釈迦様自身がキノコ料理で食あたりして苦しんで亡くなってるので、「なんだ、いくら悟っても結局苦しんで死んじゃうじゃん。」と言われてしまえばそれまである。
また、生まれ変わることが無い以上、本当にそこで終わりで、その後どうなるか誰も観測できない。死んだ後のお釈迦様が、彼岸でその後どうなったのか、観測できないのだ。

現代日本であれば平均寿命は80才という時代。つまり、お釈迦様の時代の人間で言えば少なくとも二人分の人生を生きることになる。

ここで気づいたのだが、現代日本においては小中高という学生時代に、やれいじめだの受験だのクラス内での人間関係だのがあり、大学入って一息ついたら次は就職活動でドタバタし、会社に入ったら仕事や人間関係で苦しみ、恋愛や婚活で苦しみ、結婚で苦しみ、結婚した後の夫婦生活でもコミュニケーションで苦しみ、子供が生まれたら子育てで苦しみ・・・

人生上のステージ全てで苦しみがある。

まさしく、古代インドの二人分の人生を生きようとしているのに、30-40代で転職やら結婚やらの人生の大きなターニングポイントがあるからこれを転生と捉えれば、まさしく次の人生も苦しみに満ち満ちている。

現代の日本人は、古代インド人が本当に生まれて死んでを2回繰り返す苦しみを、一人の一生で意識を保ったまま味わっていることになる。

であれば、ここでこそ、まさに仏教が役に立つのではないか。人生、どのステージに進んでも苦しみが尽きることは無い。それは古代インド人が何回も転生を繰り返しても、生まれて死んでの繰り返しで苦しみを味わい続けるのと同じような絶望ではないか。

ここにおいて、現代日本の生活における「到彼岸」をどう捉えればよいのか。仏教をどう捉え直せばよいのか。時代にあわせた再解釈をどうすればよいのか。

などなどが、最近は気になっている。


外向的な人、内向的な人。これは心がしがみつこうとしている刺激を、外の五感に求めるか、内の心の自動再生・自動妄想に求めるか、の違いではなかろうか。

何を楽しいと感じるかは人それぞれだが、「楽しい」と思うことにしがみつこうとしていることは変わらない。

ただ、受動的な楽しさなのか、能動的な楽しさなのかは、大きく質が違ってくるような気がする。

クライミングに夢中になる。走ることに夢中になる。絵を描くことに夢中になる。モノを作ることに夢中になる。

この「夢中になる」という状態が一つの参考になるような気がする。

子供の集中力はスゴイ、という話がある。あれは、人生を過ごした中で五感で取り入れた記憶が圧倒的に少ないが故に、心の自動再生・自動妄想が大人ほどは暴走しない故に、あとはそれ以外の五感のいくつかをシャットダウンすれば正しく「夢中」になりやすい、だからではないか、とも思う。

プログラミングで一度、本当に外の声が聞こえなくなるほど集中したことがある。もしかしたらあれが「三昧」(サマーディ)だったのかもしれない。

あれが、心の松明を消し去った状態なのだろうか。

あれを、プログラミング以外で再現できないだろうか。


二度の小歓喜、というか圧倒的な仏教への、お釈迦様への感動と感謝の感情の奔流を感じて、「これはもう戻れないな」という感じもある。

アイドルオタクが、推しメンバーのステージに涙を流し、感動するのと同じようなものだろう。

つまり、アイドル沼ならぬ「仏教沼」にハマったのだろう。

今までは「えせ仏教徒」などと自虐感を込めてうそぶいていたが、今後は「仏教オタク」と名乗ることにしようか。


最近仏教について考えてることは、以上です。


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更新者: msakamoto-sf
更新日: 2018-03-25 00:18:36
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