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伊勢〜名古屋 二泊三日旅行(伊勢内宮・外宮、名古屋城、熱田神宮、月天)

初版作成:2002/04/03

 久しぶりの日帰り旅行・・・じゃなくて。
 Okixの山口君をまたもや巻き添えにして、神宮(伊勢の内宮と外宮)と
名古屋城、熱田神宮、そして月天という居酒屋を廻ってきました。
 いままで東京近辺だったのに・・・なぜいきなり三重県くんだりまで
出かけることになったのか。事の起こりは山口君だったのです。彼は
最近、日本の国についていたく興味、関心を持ち始めておりSAPIOで
小林よしのり氏が伊勢までお参りに行った記事を見て「俺も行くぞ〜」とか
叫びだし。同伴者を求めていたのですが、周りはこぞって工学部系統だし。
行くところ神社だし。金無いし。結局、お金に目途がつき、かつ神社に興味
がある私が同伴することになってしまいました。
 男二人ぶらり旅〜〜。
 私自身、伊勢を含めた三重県を眺めてみると気になる地名や神社が
随分とあることを知り食指大いに動いたわけです。
 とはいえど経済面、日取りの都合などもあり結局二泊三日で、無理せずに
伊勢も内宮と外宮だけに留め、あとは名古屋で名古屋城と熱田神宮を
見て終わりにしよう、と言うわけです。
 え?居酒屋の「月天」はどこから来たのかって?それはトップシークレット
です。
まあ、名古屋市内で「ウェイトレスが巫女さんの服を着ている
和風居酒屋(ちなみにウェイターは作務衣)」とだけもうしておきましょう。
 あとは自分で調べてみて下さい。あ、ちなみに今の説明にピンと来なか
った人は調べなくても全然大丈夫ですから気にせずさっさと進みましょう。

 オカルトスポットや怪しげな場所は今回もあんまりないです。
 廻ってきたところがあまりにも一般的な神社ですし、時間も限られていました
ので余分な場所も寄り道できませんでした。そのため、今回は神社メイン
で蘊蓄を垂れることにしましょう。
 伊勢の神宮、通称「お伊勢さん」は主に二つの神宮で構成されています。
一つが「外宮」、一つが「内宮」。それぞれ広大なエリアを境内として占めています。
 基本的に、内宮は「天照大御神」、外宮は「豊受大御神」をまつっており、
オプションで「月読尊」や関係するいろいろな神様が散在しています。これら
はいずれも、日本生成の初期段階で非常に深く関わった神々であり、そのため
伊勢の神宮はひときわ別格扱いをされます。特徴としては「式年遷宮」と言
われる、二十年に一度社を作り直すという儀式です。内宮、外宮(以降まとめて
「伊勢神宮」と略称)や周辺の各社には、必ず社が建っているのと同じだけの
面積を持つ空き地が確保されており、二十年ごとに古い社を取り壊し、新しい
社を隣に開いている空き地に建て直します。神道の「神は美しく清浄な場所に
住まうべき」という思想を元にしていますが、結果として古い技術や様式を現代
まで伝えてくれました。伊勢神宮の殆どの社が平成五〜六年に式年遷宮が
行われているため、次に新しく社が造られるのはそれから二十年後の平成二十五年
以降となります。現在までで六一回式年遷宮が行われいるので、約一三〇〇年
前から続いていたことになります。 伊勢神宮に仕えている神官や巫女は
600人にも及びます。内宮は二〇〇〇年、外宮は一五〇〇年の歴史があると
言われ、日本全国民の氏神と尊ばれています。誰でも一度は耳にしたことが
あると思います。
 内宮は天照大御神、つまり日本の最高神をまつり、外宮は豊受大御神、つまりは
商業や農業の神様をまつります。
 ・・・とまあ、ここら辺は伊勢神宮を訪れれば社務所か近くの派出所でもらえる
パンフレットに書いてあることです。細かいディテールはまた後々書いていきます。
 肝心のオカルトスポットなどの怪しげな場所は今回は無しってーことで。いや、
調べれば色々出てくるとは思うけど今回はあまりそこら辺は調べなかったから。
 前置きはこれぐらいにして。始めましょう、いつもよりはちょっと長めのお話を。

3/27
21:30・・・豊田発。今回は山口君、万歩計なるものを持ち歩いていました。以降、
記録する度に万歩計を参照、歩数をカウントしていくことにする。ちなみに新宿
到着時点で1200歩。

23:50・・・新宿発名古屋行きニュードリーム号乗車。夜行バス。乗車時点で
4077歩。それまで近くにあった屋台でラーメンをすすったりしてた。
 夜行バスはその名の通り、夜間に走行する長距離バスのことです。運賃が
新幹線よりは大分安いこともあり満席でした。基本的に予約制、指定席です。
JRの緑の窓口などで座席券を購入できます。
 走行中は夜間でお休みの人もいるため、カーテンを前後左右完全に閉め
室内はかなり暗いです。窓際の席には読書灯がついていますが、はっきり
言って役に立つとは思えませんでした。実際問題としては非常に空気が乾燥
します。
のどを潤すために出発前にミニペットボトルか何かでお茶あたりを
持ち込んでおくことを絶対にお薦めします。
 乗り心地はどうかというと・・・椅子に座ったまま熟睡できるなら問題はあり
ありません。
布団じゃないと眠れない方にはちょっときつい旅になると思わ
れます。というか私は一睡もできませんでした。かといって、新幹線を利用すれば
熟睡できるのかと問われると・・・。ただ、先ほども書いたとおりカーテンが閉め
切られるので「流れる夜景を楽しんでいる内にうつらうつら・・・」もできません。
 体力に自身のないお年寄りや、子供連れの方は素直に新幹線を利用した方が
良いかもしれません。若い方や、急ぎの仕事でやむを得ない方向けですね。
 正直な話、二度と夜行バスには乗りたくない。せめて昼行、余裕が
あればぜひ新幹線を使いたい。
 時折やってくる急な気圧の上下。耳鳴りがトンネルの出入りを知らせる。カー
テンの隙間から光が流れる。内部は静止すれども外部は動いていき。もしカーテン
の隙間に流れる僅かな情景を記憶していき、つなげれば一つの流麗な景勝に
なるだろうか。バスが止まる。休憩所に着いたのだ。席を立つものはあまりいない。

3/28
1:16・・・バスはつかの間の休みを終え、再び走り出す。空調が効きすぎて
いるのか気温が高く、湿度が低い。走行中、ペットボトルを開け喉を潤す音が
何度と無く聞こえてくる。

3:00・・・諏訪で一休みする。山口君も喉が渇き、室内にこもる熱気に辟易
していたらしくドライブインの自販機でスポーツドリンク(自分はメロンソーダ)を
飲み干す。

6:06・・・春日井駅到着。二、三人が降りる。

6:40・・・名古屋到着。5040歩。一旦24時間営業のカレー屋で朝飯を食べる。

7:22・・・椿神明社で一休み。朝早く社務所も開いておらず、由来調べ忘れ。

7:51・・・名古屋駅から近鉄、中川行き急行へ。

9:39・・・伊勢市着。8475歩。ちょっと行けばすぐ外宮に。
 伊勢市について思ったことは、意外にもこじんまりとした雰囲気でした。
 当初それこそ浅草の如く駅を出た端から賑わっているものと思っていました
が、駅自体が随分と地味な感じでしたし駅前も広くこそあれ、騒がしい雰囲気
とは無縁です。道路も雰囲気を壊さないように、綺麗に整備されており街灯も
石灯籠の形を模しており市全体として統一感がとれていました。
 外宮、豊受大神宮とともに豊受大神宮別宮として土宮(つちのみや:大土乃
御祖神(おおつちのみおやのかみ))、風宮(かぜのみや:級長津彦命(しなつ
ひこのみこと)・級長戸辺命(しなとべのみこと))。さらに場所が離れてはい
ますが月夜見宮(つきよみのみや:月夜見尊(つきよみのみこと)・月夜見尊
荒御魂(つきよみのみことのあらみたま))があります。
 まとめると・・・
豊受大神宮(とようけのだいじんぐう:豊受大御神(とようけのおおみかみ))
が外宮の本体と言うべきもので、
多賀宮(たかのみや:豊受大御神荒御魂)
を始めとする土宮、風宮、月夜見宮がいわば分家(別宮)といった形で存在
している格好になります。内、月夜見宮は地理的に多少離れています。
 「荒御魂」と言うのは神の「力(パワー)」を表したもの、と言うべきでしょうか。
私自身全然わからず、パンフレットに載っている解説を解釈するとそうなります。
和魂(にぎみたま)というのもあり、こちらは「人格」を表したものみたいです。
正確を期すため、パンフレットに載っていた解説を引用します。
 荒御魂とは、神様の御魂のおだやかな御姿を「和魂」と申し上げるのに対して、
時にのぞんで格別に顕著な御神威をあらわされる御魂のお働きを「荒御魂」
とたたえます。(「皇大神宮別宮 月讀宮以下四別宮参拝のしおり」神宮司庁)
 境内にはたくさんの杉の木が見受けられます。よく見ると根本に小さな鳥居と
お稲荷さんを奉納してあるものが多く見られます。これに関してはパンフレットにも
説明が出ていなかったのですが・・・。どこかで聞きかじったものでしょう、恐らく
こう言うことだと思われます。
 基本的に豊受大御神は食物の神様です。食物と言えば米。狐は米を荒らす
害獣、害虫を食べてくれる益獣(こんな言い方あったかな?)だったはずです。
そのため、食物---米---狐という図式がどこかしらで成立するわけです。米を
守ってくれる狐を拝むようになるのは想像に難くありません。現代では米だけに
限らず、広く商業一般の神様として豊受大御神とお稲荷さまはまつられています。
 ただし。恐らく今回の旅行で多分唯一変な神社だったのが外宮の境内にあった
茜社。なんか、蛭子神中之恵毘須とか、天牟羅雲之命(あめのむら
くものみこと)
とかまつってあるんですけど・・・。社務所がしまっていて、
パンフレット取り忘れ〜〜。結構気になる神社でした。お稲荷さんみたいでした。

11:54・・・月夜見宮到着。先ほども書いたとおり、月夜見尊と月夜見尊荒御魂
がまつられていました。
 ここまでで気づいたのですが、社の扉の飾りが宮毎に微妙に変化しています。
どれがどちらかまでは忘れてしまいましたが、扉に付いている取っ手みたいな
黒い金具の位置が必ず右の扉か左の扉かのどちらかです。両方に付いている
ことはありません。また、丸いボタンみたいな金具の数や並びも宮毎に微妙に
違います。誰かこの事について知っている人がいましたら教えて下さい。
 月夜見と月讀、二種類の文字が使われていますが同じ神だそうです。日本書紀
には両方の文字が見られるとか。

(お昼頃)・・・多少迷った後、懐石料理の「花菖蒲」というところで食事。おいち
かった。ただ、山口君はいまいち腹が満たされない様子。と言うわけで、再び
道に迷った後、「白玉」と言うところで餡蜜を食う。これでようやく山口君も腹が
みちみちたようだ。後にわかるが、どうも山口君は丼でがががと食えるものじゃ
ないと腹一杯と感じられないらしい。しかも食った後すぐ動くタイプらしいので、
微妙に私とはサイクルが違うようだ。私の場合食った後すぐ動く場合は飴玉
一個かオレンジジュースで済ます。
ちゃんとした飯を食う場合はかなりゆっくり
食べるのが私の趣味だ。山口君、キミは吉野屋へ行ってなさい。
 何で二度も道に迷ったかというと、「○るぶ」の地図で道の大きさが滅茶苦茶
だからだ。つまり、目的地へ通じる一般的な道なら四車線の道も一車線の道も
同じ太さ、色で表示しているという特徴があるからである。従って「おい、この道を
曲がるんじゃねえのか?」「いや、この道は小さいから一つ向こうだろう」等と
いった混乱が起こる。
 白玉だが、これは店の名前である。看板が非常にわかりづらいので見落
さないよーに。なんと。いつも奥に引っ込んでいる店員さんは和服なのですよ。
和服好きな私にはうれしい場所でした。しかもちゃんと着こなしているあたりが
さすがと言いましょうか。ああ、和服って日常的に着れるんだなあと変に感心
しました。私は振り袖のようなものよりも、まあまあ上品で日常的に着ることが
できる、幾分地味な和服が大大大好きなのです。さすが伊勢市。

〜〜6:30・・・この間に伊勢市駅周辺から歩きで旧街道を使って内宮の喉元
まで行きました。途中神宮徴古館に寄ったり、倭姫命をまつった倭姫宮に
寄りました。山口君、これくらいで疲れてやんの。いや、俺も十分疲れ
てました。

 神宮徴古館というのはよーするに博物館の事。伊勢神宮の事や式年遷宮
関連の品がずらり、揃っております。それによると式年遷宮により昔のものを
揃えるのはだんだん難しくなってきているそうです。材料はもとより技術者も
だいぶ減ってしまったようで、昔と比べて代用品で補わざるを得ないものも
多くなったそうです。式年遷宮がなければ、もっと早くこれらは消え去ってい
たかもしれません。
 倭姫命というのは約二千年前、天照大神の教えを受けて皇大神宮(内宮)
を現在の場所に定めた人です。神社自体は大正十年から十二年にかけて
倭姫命をしたい、神宮庁と伊勢市が創立した結構、というか一番新しい
神社だそうです。
 途中行くと、月讀宮もあります。ここは内宮の別宮であり・・・
月讀荒御魂宮:月讀尊荒御魂
月讀宮:月讀尊
伊佐奈岐宮:伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊佐奈弥宮:伊弉冉尊(いざなみのみこと)
 の四つの社がまとめられています。
 さて、それを過ぎて・・・さすがに猿田彦神社は疲れていたのでパスして・・・
行くと、ようやくおはらい町に辿り着きました。が。五時を過ぎんとする今、
多くの店が暖簾をしまい始めていた。そして我々は腹が減っていた。

 しょうがないので私は豆腐アイスを食べた後、山口君とともに赤福を食べて、
いい加減山口君が限界に達し始めたみたいなのでバスで帰ることにしたのだ。

〜〜11:30・・・バスで駅まで戻り、迷いかけたが何とかホテルまで辿り着き、
一休みした後夕飯を駅前のファミレスで済ましました(夜更けにやっている観光
客向けの飯屋が見あたらなかった)。その後露天風呂付きの浴場でゆっくりして、
寝ました。本日最終で38643歩なり(約11.59km)。

3/29
7:00・・・朝飯。何でホテルの朝御飯というものはどこもいっしょなのだろうか?

〜〜11:16・・・昼飯。
 ホテルを出た後一旦駅まで行き、内宮行きのバスに乗ります。そのまま内宮を
廻りました。少々曇天で、午後からは小雨までぱらつき夜は嵐となりました。
 とりあえず午前中はおだやかな曇り具合で、観光客もたくさんいた。内宮は
基本的に天照大御神一本で、他の社はあまり見かけなかった。風日祈宮に級長津彦命
、級長戸辺命がまつられているくらい。
 観光客以外は静かなもんでした。方々に樹齢何百年にもなろうかという杉の木
がにょきにょき生えていて、花粉症の季節に来たら大変だったろうな、と思います。
幾つかの杉の木に、竹の腹巻きを巻いてありました。恐らく人間が触ったりして
おかしくなるのを防ぐためでしょう。証拠に、腹巻きのない杉の木はどれもつるつる
に表面の樹皮が剥げていました。
 まあそんなこんなで。ゆっくりと見回った後ようやくお昼になったで御座るよ。
 昼飯の一食めはマグロのてこね寿司と伊勢うどんのセット。おはらい町で食べ
ました。ただ両方ともこじんまりとしており山口君は明らかに物足りない様子。お
かげ横丁の「豚捨」で牛丼を食べてようやく満足したみたい。おまえ、懐石料理や
精進料理食えねえよ。いや、食えるかもしれんが腹一杯にはなれないだろうな。
 おまけに、山口君はホントに食ったらすぐ動くタイプらしく。待ってくれ〜〜ってな
感じ。
 その後は二人でぶらぶらし、ういろう買って招き猫買って。適当に甘いもの食って。
お香の良さそうなのがあったので買ってみました。帰ってきてから試してみましたが
マイルドな香りでなかなか良いです。
 小雨が降り出した頃、高麗広の飛び石まで行ってみましたが・・・頼むからる○ぶ
よ、道の太さ、大きさもちゃんと地図で表現してくれ。内宮までの二、三車線の道の
表示のまま一車線の道まで描画しちゃってるから「本当にこの道でいいのかな」とか
不安になってしまいましたってば。高麗広の飛び石っちゅーのは五十鈴川を渡るた
めに造られた飛び石。今も渡れるようになっており、雨が降り始めていましたが
実際に対岸まで渡ってみました。
 というわけで。帰りは雨も降っていたしバスで帰りました。その後も大分時間が
余ったのですが、疲れも溜まっていたので私の意見でホテルでごろごろしてました。
で、夜の7時ぐらいに近くの焼き肉懐石で焼き肉懐石コース食べて、帰ってきて、
風呂に入りました。露天風呂が、ちょうど雨風に曝されて超超超最高のコンディ
ション。30分以上は雨風に吹かれながら風呂に浸かっていました。サイコー。
昨日は満月の光に曝されていたし。良かったです。
 ところが、シャワーのコックが突然はずれてしまって水が出っぱなしになってし
まったのです。あれ、結局直ったのかなあ?
 で。寝ました。1300歩前後(朝にリセットした)。

3/30
8:00・・・ホテルを出る。ここら辺に来るといい加減疲れてきてメモもろくにとって
ねえ。とにかく、伊勢駅まで行って近鉄線で名古屋まで。

11:00・・・名古屋着。地下鉄線を乗り換えたりしてかき揚げの店光村を探す。

12:30・・・光村でかき揚げ。6400歩。結構おいしい店でした。山口君が小耳
に挟んだのは、ある家族連れのお父さんが「揚げ物って聞いてきたのに唐揚げが
無いじゃないか」とぶーたれていたとの事。光村は天ぷら屋なんですけど・・・。

13:30・・・多少道に迷った後、名古屋城(名城)着。
 名城(名古屋城)は、関ヶ原合戦後江戸幕府を開いた家康が1609年(慶長14
年)普請を命じ、1612年に完成しました。明治維新を迎えるまで徳川御三家
筆頭尾張家の居城として栄えます。
 第二次大戦中昭和20年5月、名古屋空襲の際、大・小天守閣、本丸御殿は
じめ建物の殆どが焼失しましたが、幸いにも焼失をまぬがれた西北、西南、
東南の櫓と三つの門と本丸御殿障壁画の大部分は現在に伝えられています。
 金の鯱も有名です。これも焼失してしまったのですが昭和34年、天守閣と共に
再建されます。
 最初に二之丸東庭園をまわり、二之丸茶亭でお茶を飲みました。で、旧二之丸
東二之門をくぐろうとしたら・・・なんと、水のかれたお堀の中に鹿がいるでは
ありませんか!ホント。めえめえ鳴いてた。
 入ってみると・・・天気が良いせいか人が非常に多かった。天守閣内部は再建後
博物館化しており、内部で色々展示しているのだが人が多くて多くて・・・。
 疲れに疲れて出てきました。あたりには中学生らしき集団も見られ、季節はずれ
にも感じられますがとにかく旅行らしかったです。山口君の脚もいい加減限界が
近づいて来たらしく(早過ぎるぞ)、20分ぐらいベンチでぼけっとしてました。
 で、4時ぐらいになってようやく名城を出て熱田神宮へ向かいます。

4:30・・・熱田神宮。13582歩。
 熱田神宮は三種の神器の一つ、草薙神剣を御霊代としてよらせされる天照
大神をまつってあり、熱田大神(あつたのおおかみ)と呼ばれています。んで
もって、相殿神(あいどののかみ)もまつってあります。これは草薙神剣とゆ
かりの深い神々で天照大神(あまてらすおおかみ)、素盞鳴尊(すさのおの
みこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、宮簀媛命(みやすひめのみこと)、
建稲種命(たけいなだねのみこと)の五柱で「五神(ごしん)さま」とも呼ばれています。
 日本武尊の関係で、后の宮簀媛命が神剣を今の熱田の地に約1900年前
にまつったそうだ。
 伊勢の内宮ほどは広くなかったが。辿り着いたのが5時ぐらいで、お茶屋が
閉まりかけていた。信長塀とかいうのがあって、何でも桶狭間の戦いで勝利
したのを感謝して奉納した塀らしい。本当かな。あまり資料がなかった。
 境内には上知我麻神社とかいうのもあった。祭神は乎止與命(おとよの
みこと)で尾張氏の祖神、天火照命の十一世の孫、宮簀媛命、建稲種命
の父神にあたる。
 上知我麻神社は熱田神宮の摂社で、他に大国主社(大国主命)、事代主
社(事代主命)がある。更にその別宮として八剣宮があり、祭神は天照大神
で草薙剣。つまり熱田神宮と同じ。
 なんで別系統の天照と大国主が同じ境内にいるかっつーと。なんでも元々
は敷地も分かれていたのだが区画整理とか何かで一緒の境内にまとめられた
らしい。神様も大変だ。八剣宮についてはよく調べなかったのでわかりません。
 というわけで疲れていたしざっと見回って帰ります。そろそろ6時、月天が
開く時刻。

6:30・・・月天。多少迷ったものの何とか辿り着きました。週末は込む、と
いわれていましたが店も開いたばかりで、人数が二人と少なかったせいか
カウンター席に座ることができました。
 本当にウェイトレスが巫女さん姿でした。ウェイターは作務衣。
 お酒もおいしく、そして何より。料理がかなりハイセンスでおいしかったです。
 巫女さん云々もありますが、純粋に居酒屋としても十二分に楽しめます。
ただ居酒屋さんなので・・・「お腹一杯」にはなれないと思います。オードブル
程度のものをちまちま頼んでいき、気が付けば5千円を軽く超えていた・・・。
 名古屋という距離がありますが、とにかく月天は楽しい居酒屋でした。ぜひ
また行ってみたいですね。巫女さん萌えでない方もぜひ。
 19901歩。

〜10:30・・・名古屋駅でゆっくりした後、夜行バスに乗る。やっぱり眠れない。
 21338歩(約6.5km)

5:30・・・新宿着。

7:00・・・豊田着。



感想・・・いやー、今回はさすがに疲れました。多分夜行バスで大いに労力
を消費したと思われます。7時間前後をまんじりともせず過ごしたわけです。
 しかも今回ミステリースポットはあまり調べてこなかったし。神社も大分巡り
ましたがどれも有名どころばかりで。私個人の好みでは、どちらかというと
町中に埋没している稲荷とか、誰もお参りしなくなったようなぼろぼろの社
とかを訪ねて由来や縁起を知る方が好きなんです。まあ、今回はたまの遠出
ですし。それにおはらい町やおかげ横丁で色々食べたかったしで山口君と
ご一緒してきました。さすがに伊勢神宮の宮はいずれも深閑としたものです。
 もうちょっとおはらい町やおかげ横丁を楽しみたかったな。次は一人旅で
楽しむのも良いかもしれない・・・。なぜなら。
 山口君とのイベントはまだまだある。
 青森の恐山(←いきなりこれかよ!)、横須賀のイージス艦一般
公開見学
(はあっっ?)、自衛隊体験入隊(勘弁してくれ)、
中国-モンゴル行き(馬に乗りたいって・・・振り落とされてろ)等。
 それら全ては無理だろうが、いずれにせよまた変人同士の騒々しい旅が
待っていることだろう。それはそれでよいのだがミステリースポット周りはやはり
一人で浸りたいものだ。
 っていうか、男二人ってのはやっぱきつくないか?

 と言うわけで、老若問わず女性募集!!風に吹かれてぼおっと歩いて
いられればそれだけで幸せという方、日常に埋没している神社や稲荷を訪ね、
由来や縁起を知ると幸せという方、待っています!!!!(←もうヤケ)。

 ・・・そんなこんなで、いつもとはちょっと違う終わり方ですが。日帰りじゃなくて
二泊三日男二人の旅行レポート、終わります。

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