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突発衝動的小説その一
初版作成:2002/01/17
ととろんのお話
その神様に出会ったのはいつだったか。たしか五歳の頃だったと記憶している。家の近く。ちょっとした裏山。植物に疎い私には今でもわからない、雑多な木々で構成された薄暗い森。
キノコを探していた。そんな気がする。探していて、探していて。下を向いていた。根っこにつまづかないため。夢中。ドンドン木が多くなってくる。根は下を這い、横を流れ、やがて頭上で絡み始めた。ここはどこか。そんな不安が頭をかすめたとき。
何の弾みか顔を上げた。
ぼふん。気持ちの良い音とともに私の頭は灰色の、ふわふわした毛の塊に突っ込んだ。思考停止。何が起こったのかわからないまま布団を思わせる触感の毛だまり。頭を預けていた。そのうち毛だまりがある周期で、僅かに。膨れたりしぼんだりしていることに気がついた。耳を澄ませると毛だまりの奥の、いや向こう側から鼻息が聞こえてくる。暖かい毛だまり。
生き物だ。コレ。
ようやく気づいた。とはいっても、大人であったらこんな生き物は少なくとも自分の常識の範囲では居ないことに気がつき、驚いて逃げ帰っていたかもしれない。だが私はその当時五歳の子供だった。五歳の私の常識には、こんな生き物は居ない、という項目は無かった。
とにかく私は毛だまりから顔を離し、改めてその正体を確かめた。高さは当時の私の背丈の四倍はあった(後になってわかるが実際ほぼその通りだった)。横に長かった。丸かった。毛むくじゃらの丸々太った生き物が、鼻息の音色から察するに。
すー。すー。すー。
寝ていた。
規則正しい寝息とともに丸い小山の頂が上下する。腹。私はぐるりその生き物の周りを歩いてみた。全身が灰色の柔毛に包まれ、ぽっちゃりとした短い両手。両足。指は手にも足にもなかったが、短くて先の丸まったかわいらしい爪みたようなものが人間と同じく五本ずつついていた。お腹の毛は、象牙色をしていた。猫のような耳。人間のような鼻。猫のようなひげ。
トトロみたい。それが正直な感想だった。起こさないように静かに、周りを二周した後。足の裏の肉球を思わずつん。突っついた。
すー。すー。すー(つん)。すー。すー(つんつん)。すー。すー。すー。すー(なでなで)。すー。すー。すー(ぷにぷに)。すー。すー(つねつね)。ん。
びくり。私は肉球から指を離し、じっと見守った。もそりと毛玉が動き、上体を起こす。ぱらぱらと背中にくっついていた枯れ葉が地面に落ちた。大きい。ようやく怖い、という感情が頭をもたげた。生き物が、眼をうっすらとあける。犬のような、人間のような。どっちとも言えないつぶら瞳で寝ぼけたように私をちらり。見た。また目を閉じ、上体をゆっくりと傾け。横になり。
すー。すー。すー。すー。すー。
また寝てる。子供心にもどうやらこの生き物は私に対して特に敵意を抱いているわけでも、興味関心があるわけでもないらしいことがわかった。ならば。
私は毛を掴み、腹の上によじ登った。暖かく包まれた腹は私に眠気を催させた。
すー。すー。すー。すー。すー。
その生き物の寝息に私のも混ざり始めたのは、多分。そう時間はかからなかったと思う。
気が付くと夜になっていた。涼しくなった風で目を覚ますと、相変わらずその生き物は寝ていた。私がゆっくり体を起こし、空の上にある月に目をやったとき。
起きたか。
穏やかな声が私の頭の中に響いた。びっくりして辺りを見回しても人は誰もいない。やはり。その生き物が相変わらず眠そうな細目で、私を見上げていた。
え、えと。気持ちよかったので・・・。ごめんなさい。
その眼があまりにも優しそうだったので、照れた私が下を向いて答えると。ますます眼を細めて。笑った。ように見えた。
謝る。必要、無い。気持ちよかった。よかった。うれしい。
寝息は相変わらず響いている。どうやら直接私の頭に語りかけているようだ。
あの・・・あなたは、誰?
わたし。神様。この山の。
布団の中で。夢見心地の受け答えをする童のように。神様はぽつりぽつりと言葉をつなげた。
神様?
そう。神様。この山の。
・・・本当?
本当。神様。この山の。
本当に寝ぼけているらしい。この生き物が神様であるにせよ、或いは化け物であるにせよ、すぐに取って喰われるわけでもないらしい。安心したわたしは、別の不安を思い出した。夜。夕方までには家に帰ると約束していた。
心配ない。
神様が語りかけてきた。眼を開け、もそりと上体を起こす。腹の上にのっかっていたわたしは落っこちそうになるが、両手で支えてくれて無事地面に着地した。
何しに、来た。
キノコ採りに来たんだ。でも夢中になって迷ってしまって。
キノコ。残念。この季節、あまり、キノコ、無い。残念。
ここ、どこ?
ここ。ここ、山の中腹。広場。神様の、寝場所。
・・・家に帰らなきゃ。
家。どこ。
わからない。ここからじゃ、暗いし、木も多いし、方向がわからない。
・・・わかった。じゃあ。腹に、顔。埋める。埋める。
?
てっぺんまで。連れてって。あげる。てっぺんから。下、見える。方向、わかる。
さあ、といった感じで神様はわたしを腹に招き入れた。ふわりとした両手に軽く体を押さえられ。
てっぺん。着いた。
神様の声に眼を開け、首を回す。確かに。言葉通りだった。山の一番高い木の、コレまたてっぺんに神様は器用にバランスを取りながら立っていた。
うわ。
だいじょぶ。落ちない。落ちない。支えてる。安心。
・・・すごい。
家。どこ。
わたしは暫くぐるぐる見回し、神様に頼んで一通りぐるり見ると見覚えのある家がぽつりとあった。指さすと、また腹に顔を埋めるよう言われた。その通りにする。すると、わたしがキノコ取りに行くときに使った山の入り口に立っていた。
ここから。道、ある。歩いてく。送ってく。
いいの?
子供。久しぶり。一緒に歩く。送ってく。
・・・ありがとう。
行く、行く。帰る。送ってく。
こうして私たちは田圃の中のあぜ道を、肩を並べて(神様の方は私の頭の上に肩があったが)歩いていった。よっぽど子供が珍しかったらしく、神様はその独特の口調で途中、結構喋っていた。
子供、珍しい、久しぶり。久しぶり。一緒に寝る。暖かい。幸せ、幸せ。
重くなかった?
平気、平気。重いけど、平気。重くない。平気。
子供、久しぶり。今度、一緒に寝る。また、寝る。寝たい。
いいけど・・・。気持ちよかったし。
他。子供。いないか。一緒に寝る。寝たい。気持ち良い。みんな、幸せ。
うん。良いよ。でもみんな神様のこと、内緒にしててくれるかなあ。
平気。喋っても。大人、みんな、知ってる。でも、秘密にしてくれてる。うれしい。
なんだ、大人も知ってたの?
みんな、子供の頃、会ってる。知ってる。うれしい。
・・・神様って、こないだ映画で見たトトロっていう森の神様に似てる。
うん。知ってる。似てる。
え!?見たことあるの!?
植木屋のとめさん。神様、似てるの居る。見てみて、言った。一緒にとめさんの家で、ビデオ見た。そっくり。そっくり。
神様のこと、何て呼ぼう・・・。トトロとそっくりだけど、まんまトトロじゃつまんないし。あ。そうだ。ととろん。っての、どう?
ととろん。ととろん。眠たくなる。良い名前。とめさんも、ごちさんも、みんな、みんな、気に入りそう。ととろん。良い名前。ありがとう。
そんなことないよととろん。神様だからって、名前がないの変だよ。
ととろん。ととろん。名前、今、ある。変じゃない。うれしい、うれしい。
そう言って、万歳をするかのように僅かに両腕を広げたりした。そのたびに毛がむうっと広がってはふうわっと収まり、子供心にも綺麗なものだった。
・・・ここだ、家。ととろん、どうも有り難う。またキノコ取りに来るよ。友達連れて。
来て、来て。友達。いっぱい。寝る。気持ち良い。幸せ、幸せ。
これが私と、裏山の神様『ととろん』との最初の出会いだった。玄関を叩き、一晩中私を捜して疲れ果てていた両親、祖父母を文字通りたたき起こし大目玉を食らったのもよく覚えている(なんと帰ってみたら丑三つ時。三時半を回ろうとしていた)。ととろんの事を話すとたいそう喜んでくれ、家族みんなでお礼に行こうと約束もした。
家族で行くと、ととろんはたくさん喜んでくれ、山菜をたっぷりとくれた。両親や祖父母のこともよく覚えていたらしく、独特の口調もあり随分ゆっくりと。そして長い時間。眠気半分で語り合った。
ととろんを紹介した友達はおおむね気に入ってくれたらしく。村の学校では俺も明日寝に行く、いやあたしは今日山菜取りの方法教わりに行く、だの盛り上がった。
こうして中学校に上がり、中学二年の頃までととろんと一緒に私たちの村は変わらず、あった。その間数人の転入生、転校生もあったがいつの間にかととろんとなじみ、そして不思議なことに。大人も、誰も、ととろんの事をテレビとか新聞に教えないのだ。何となく。わかっていたのかもしれない、ととろんは所詮は裏山の神様『でしか』ないのだということを。あまりにも日常的。小さすぎて。どこもおかしくない。
それと同時に次のことも感覚的にわかっていたのだろう。外の世界にとってあまりにも異常だということに。故に。だからこそ、ととろんはととろんで居られたのかもしれない。そこら辺の詳しい心理は私にもよくわからない。居て当然。居ないのが常識。所詮ととろんは村の中でのみ通用する記号に過ぎない。夢に過ぎないことを皆知っていたのかもしれない。そうでないかもしれない。全然違う理由かもしれない。
とにかく、ととろんは中学二年の秋まで村だけのととろんだった。
住宅の建築が始まるのだと、大人達は囁き始めた。
ととろんの山の周りにロープが巡らされ、立入禁止の札が立てられた。ととろんの寝場所が消えてしまう。大人も、私たちも、小学校に入る前の子供達も。ととろんを知っているものたちは皆。あわてた。大人達はなんとか工事を中止して貰おうと掛け合ったが無駄だった。ととろんと話したくても、山には入れなかった。既にととろんよりも背の高いフェンスが巡らされていた(ととろんは自分から山を下り、人里に足を踏み入れることはできないそうだ。自分のヒゲを持っている人間と一緒ならできる)。
その夜。私は人目を忍んで工事車両の出入り口から山に入り、ととろんの寝場所に向かった。ととろんはいつもと同じように。
すー。すー。すー。すー。すー。
寝ていた。私はととろんを起こすときいつもそうであるように、足の裏の肉球を突っついたり撫でたりひねったりした。もっそりとととろんが体を起こす。
久しぶり、久しぶり。暫く、誰も来てない。ずっと、一人で。寝てた。どう、した。
山のことを知っているのか知らないのか。相変わらず眠そうな口調で話しかけるととろんを見て。急に抱きつきたくなって。泣きたくなって。
気が付いたら全部喋っていた。しゃべり終わると、ととろんはそのふかふかの両手で私の背中を優しく叩いてくれた。そして。
大丈夫。心配ない、心配ない。ととろん、消えない、消えない。
びっくりした私。ととろんはまた眠くなったらしく、体をまた横にして寝息を立て始めた。しかし。私はととろんの腹によじ登り問いかける。
・・・でも、山の木とかが全部切り倒されるかもしれない。そうしたら寝場所もなくなっちゃうよ。住宅だけになっちゃうんだよ。
木、森、林。大丈夫、大丈夫。ととろん。山の神様、山。神様。消えない。
納得できずにまだぐずついている私を見かねたか、ととろんが珍しく自分から話を進めだした。
木、森、林。自然。みんな、少し。勘違い。自然、無くなる。それ少し。違う。自然、無くなる。それ、みんなにとっての。自然。木、森、林。何も感じない。ただ。生きてるだけ。流されるまま。誰も。何も。恨まない。勘違い。ととろん、同じ。山、木、切られる。無くなる。誰も。何も。恨まない。ととろん、山の神様。ここら辺りの地面。盛り上がってる。それで大丈夫。消えない。木、切られる。森、林、無くなる。でも山、無くならない。ととろん、消えない。
・・・でもでも、寝場所がなくなっちゃうよ。
木が生えてるから、森の中。寝る。家が建ち、道が巡らされる。道の中、寝る。車、来る。大丈夫。ととろん、神様。素通り、素通り。平気。
・・・でもでもでも、山菜も、キノコもとれなくなっちゃうよ。
それ、寂しい。でも。仕方ない。家、できる。新しい遊び。発見。ないのか。
・・・頑張ってみる。
ようやく納得した私の背中をととろんはふかふかの腕で撫でてくれた。
その夜はそれで帰ってしまったが、それでもやはり心配だった。いくら神様で体を自動車が素通りしても、外から来た人に見えてしまったらやはり大事になってしまう。それに。やっぱりととろんと一緒に寝るのは森の中がいい。
翌日。私は村の人達に昨夜のことを伝えた。みんな最初はとまどっていたようだがやがてめいめい、納得したようだ。最近何かと環境保護や、自然を大事にしようなどと言われていたが、ととろんの話にちょっとした衝撃を感じたのだろう。とはいっても寝場所を残そうというのは満場一致だった。というわけで、何人かの村人がその交渉に行った。
駄目だったらしい。そりゃあ。そうだ。神様の寝場所のため、森を少し残してほしいなどと直談判しに行けば誰だって警察を呼びつまみ出すに決まってる。そこで私はある提案をした。
そもそも住宅地の建設である。話をざっと聞く限り、日当たりのいい山肌に沿って一戸建てをぐるり建てるらしい。ならば、ととろん用に数軒分の土地を買ってしまい、それを森として残すのはどうか。
というわけで、また何人かの村人が分譲地数軒分を買いに不動産へと旅立った。
駄目だったらしい。そりゃあ。・・・駄目か。なんでも分譲地の購入自体は全く問題ないが、ととろんの戸籍。住民票。無職ならば保証人も居なければならない。そこで村人は考えた。
というわけで、ととろんは私の腹違いの兄となった(しかもいつの間にか性別まで決まっている)。そして誰が血迷ったのか、職業に『山の神様』と書きつけてしまった。備考欄には『収入源・村人の捧げる供物。主に米、煮物、果物』。
おいおい。中学生の私にはとうてい理解できない冗談。そして。
見事に購入できてしまった。
不動産屋も良いセンスをしている。呆れながらも感心したものだった。
とにかく、こうして村人達の金を集めてととろんの寝場所付近の土地を買い占めた。山のてっぺん近くだったので、工事にも特に支障はなく。そのままにさせてほしいと言う願いは聞き届けられた。
ととろんにこの顛末を話すと、たいそう喜んでくれた。とはいっても、相変わらず寝息を立てながら。
寝場所。消えない。うれしい、うれしい。幸せ、幸せ。
三十分位繰り返していただけだが。
翌日。村の広場にたくさんの山菜とキノコがつまれていた。ととろんからのお礼であることはすぐに皆わかり、村中で分け合った。
やがて。住宅地の建築が始まり。終わり。人がたくさん来て。ととろんは。
すー。すー。すー。すー。すー。
相変わらず寝ていた。たまに住宅地の子供が迷い込み、ととろんと出会う。ととろんは子供に連れられ住宅地まで降りてきて、大人とも遊ぶ。
住宅地の人達は、やはり。外の世界に対して決してととろんの事を話さなかった。
私は高校を卒業し、家業である農家を継いだ。知り合いの幾人かは都会に出ていったが、ととろんのことを話すのは決まって村の人と一緒の時だけだ。大人になってからも私たちはととろんと遊んだ。一緒に鍬をもって畑を耕したり、運耕機の修理をしたりした(よくととろんは体毛を絡めてしまい難儀する)。山菜やキノコはもうとれなくなってしまった。だが、都会に行った連中が時たま持ってきてくれる珍しい洋食を一緒に食べると、たいそう喜ぶ。
こうして皆年を取り、子供ができて、子供はやがてととろんと出会い、育っていった。
昨日は私の長男夫婦が、孫を連れて遊びに来てくれた。さすがに都会生まれの孫にはととろんは『視えない』らしく。わたしがととろんを連れてきてあげてもわからないらしかった。それでもととろんが孫に近づき、腹にぼふんと顔を埋めるようにすると孫達は、なんがか知らないが暖かい、眠くなった、と気持ちよさそうに笑うのだった。
ここ数年。老いてきたせいもあるのか、私はよく『神』としてのととろんを考える。確かにととろんは神様にしては小さすぎる。よく人と遊び、遊んでいないときは気持ちよさそうな寝息を立ててぐっすりしている。前は山菜やキノコをくれたが、今は代わりに毛玉をくれる。それは付近の住人にしか見えない毛だまりで。ととろんが手のひらサイズまで小さくなったような形をしている。一人につきいつも一つしかくれない。けど。無くしたと思っていたら、暫くしたらどこからともなく出てくる。一人に一つ。いつまでも一つ。死ぬときに、気づかない内にどこかへ行ってしまう。持っていると眠くなり、ぐっすり眠れる。それだけ。
特別何かして貰ったわけでは。無かったのだ。山菜やキノコの煮物、おむすびを捧げ、寝場所を作ってあげた。秘密にしてあげた。経済的、心理的にそれなりの負担だったはずだ。なのに、なぜ。私たちはととろんにこれほどに『入れ込んで』いるのだろう。
最近。幾つかの心当たりが浮かんでくる。ここら辺りは皆農家である。が、政府の執拗な減反政策にも関わらず、みなそれなりに潤っている。田圃を潰して畑にするのだが、それが不思議と失敗しないのだ。或いは。冷夏が何度かあったが、私たちだけは特に被害を受けることもなく安定した収穫を続けている。普通これだけ長いこと農業を続けるとその土地が痩せてしまい、作物がとれなくなってしまうものだ。
他にも。細かい点ではあるが、この村や住宅地では不幸な死に方をする人間が居ない。都会に出ていきそこで死んでしまった者は別だが、少なくともこの村や住宅地で死ぬ場合大概。ぽっくり。どんなに病で、怪我で苦しんでいても。気持ちよさそうに寝息を立てた後。ぽっくり。
外の世界に決してととろんの事を教えないのも、ひょっとしたら。ととろんの神様としての力があるせいかもしれない。
こう考えると私たちは随分とととろんの世話になっていると思えてくる。では私たちはそのお礼に、ととろんに何をしてきたのだろう。そんなことをととろんに話す。すると。
大丈夫、大丈夫。ととろん、いっぱい。いっぱい、みんなの世話、なってる。気づかないだけ。ととろん、寝るの。好き。寝る。気持ち良い。でも、みんな寝てくれる。一緒。気持ちよくなる。みんな、幸せ。うれしい。幸せ、世話、なってる。情け、人の。ためならず、言った。そういうこと。
ととろんとよく遊ぶせいか、老いても足腰が弱ることもなく。私はよく、旅に出るようになった。電車で。バスで。徒歩で。
都会の中をさまようときが、旅の中で一番好きだ。コンクリートジャングル。人はそう言うけれど。ととろんの言を借りれば、それもまた『自然』なのだろう。ととろんはこんな事も言っていた。
コンクリートも。好き、好き。冷たい。けれど、暫く横になる。暖まる。ちょっと寒いけど、好き。アスファルトも同じ。森、林、木、無くなる。みんな、嘆く。でも気にすること、無い。なるように。なる。ととろんは構わない。でも、森、林、木、無くなる。みんな、困る。何とかしよう、頑張る。ととろんは構わない。みんな、みんなのことで精一杯。それでいい。ととろん、みんな、大丈夫。大丈夫。
環境保護とか、自然を大切に。そう言った姿勢は間違っていない。ただそう言ったときの『保護すべき環境』や『大切にしたい自然』は人間が勝手に決めているだけなのだ。人間の営みで勝手に地球を扱うことそれ自体は環境破壊も環境保護も。やっていることは変わらない。人間が生きるために山を削り、海を汚し、空気を汚し、生き物を絶滅させる。人間が生きるために植物を増やし、空気を綺麗にし、海を綺麗にし、絶滅しかけている生き物を何とかして延命させる。
同じだ。それだけなのだ。
なので。何も考えていない無垢な人々が環境保護を訴えてパレードを組んでいる情景などに旅先で出会うと。自分のエゴに気づいていないように思え。嫌気がさす。ようなことは、不思議と無かった。
彼らは自分の考えを訴えている。たしかにそれら訴えは一般に通用し、受け入れられる考えである。だが。所詮は人間一人一人の小さな世界における考え方でしかない。自分はこう思う、と言っているだけだ。少なくともそう考えている限り反論したりする気は。しなくなる。なるほど、あなたはそう考えているわけだ。納得しました。でもただそれだけです。終わり。ととろん風に言えばこうなるだろうか。
かんきょうほご、しぜんたいせつに。みんな、同じ事考える。みんな、生き延びるため、同じように頑張る。みんな、幸せ、幸せ。うれしい。
結果論と言われるかもしれない。或いは、それは神の視点であって地に足をつけて生きていく者の見方ではない、と言われるかもしれない。その通りである。なぜなら山の神様の見方なのだから。
しかしそうした批判自体、批判している人間一人一人の世界の中での話だ。私はこう思う、を心の中に放っておくか。口に出すか。それだけの違い。全て人間一人の世界の中で。完結してしまう。なにも、あなたもこう思え、とまで言っているわけではないのだから(たまにそう言う人もいるが)。
ととろんと一緒に生きてきて。そう考える自分が居る。そういえば、と私はまた一つ思い出す。ととろんに水木しげるの漫画を見せたことがある。短編集に収められている『コケカキイキイ』というのをみたととろんは。
しゃべり方、似てる。似てる。恥ずかしい。ちょっと、嫌。でも。うれしい。この人の漫画。ととろん、大好き。大好き。
と、普通なら心にしまっておくような自己嫌悪の感情までも照れながらも喋っていた。それを横目に、なるほど。と不思議と納得したものだった。
膨らんだり。しぼんだり。寝息とともに僅かにそのサイクルを繰り返すととろんの横っ腹に背中を預け。魔法瓶に残っていた最後のお茶を冷まし冷まし飲む。緋い夕日が。山肌を包み込む。灰色のコンクリート。赤黒いアスファルト。裾に広がる田畑。一瞬。
緋い夕日。荒れ果てた田畑。ひび割れ、ペンペン草が隙間から生えたアスファルト路面。コンクリートの土台だけが残った、住宅跡。所々に転がる、行き倒れのしゃれこうべ。
・・・何だ。コレハ。
先。
サキ?
ずっと、ずっと。ずっと未来。
ドウシテワタシニコレヲミセル?
ととろんと、似てる。似てる。だから、見せた。
私の考え方がととろんと似ている、と?
そう。そう。
ああ。自然。そうか。
自然、流れる、気持ち良い。皆、気持ち良い風。眠たくなる。寝る、寝る。
寝よう。ずっと。ととろんと一緒に。いつまでも。
みんな、そうなる。ととろん、いつもみんなと一緒。たくさんの生き物と、寝てる。幸せ、幸せ。ととろん、山の神様。
了
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