昔のコンテンツの整理とかしていたら、ふとCetaを作ったときのことを思いだした。 * Cetaを制作していた当時のこと Cetaに没頭・・・というか逃避していたのは2000年~2001年の事だけれど、当時はWindows2000が出たばかり。自分は金のない大学生で、中古で購入したLet's noteでWindows98とかでC/C++を勉強していた。 Windows98とかはコマンドプロンプトの使い勝手が悪くて(TABキーによるディレクトリ・ファイル補完が効かなかったような記憶がある)、かつC/C++を勉強するのにエディタを欲していたのだが、コンパイラやコンパイルオプション、環境変数を好き勝手に弄れるエディタが無かった。 書き出せば長くなるので端折るけれど、とにかく当時の自分としては「欲しいツール」が無くて、でもそれが無いとどうにも先に進めそうになかった((後から思えば決してそんなことは無かったのだけれど))ので、勉強がてらつくったのがCetaというエディタだった。 ぶっちゃけ、作り終わる頃にはLinux弄るバイト初めて、一時期はDesktopまでLinuxにしたときがあって、Windowsに戻ってきた頃にはWinXPとかが出ていてsakuraエディタとWin2k以降使い勝手が改善されたコマンドプロンプトだけで事足りるようになってしまった。 Win2k以降、環境変数の変更を反映する為の再起動が不要になった事も大きい。 自分はCetaを作るという名目で色々逃避もした。例えば試験をすっぽかして単位を落とした。BorlandC++BuilderにくっついてきたWin32APIリファレンスを和訳するというアホな行いの為に技術英語と製図の授業を半年分丸々ボイコットした。 当時としては随分アホな事するなぁと我ながら思ってはいたけれど、どうにも我慢というか収まりが効かなくなったあげくの所業だった。 とはいえ、その分の見返りは随分大きい・・・と今になって思うのは、結局ソフト開発を生業とするようになったからだろう。Win32APIをまじめに勉強したのは、その後実際の仕事で(間接的にではあるが)非常に役に立った。 また、MSDN日本語版の存在を知らなかったが故の過ちである「2-300ページのWin32APIリファレンス(英語)をプリントアウトして面白そうな箇所から和訳」というのは、プログラミング系の英語ドキュメントであれば物怖じせず読もうとする姿勢が身に付いたという意味で、非常に役に立った。((とてもじゃないが仕事が始まってからではこんなアホな事できなかっただろう。MSDNの日本語版を先輩とかから教えて貰った時点で頭から消えていただろう)) * YakiBikiを制作している時のこと YakiBiki自体はまだなお制作中ということで、現在形ではあるのだけれど、やっていることはCeta制作とよく似ている面があるので多少は過去形にしてみる。 実はYakiBikiのメイン機能であるACL自体は2002年とか2003年当時からほしがっていた機能だったりする。当時はツリー形式のPHPの掲示板スクリプトを弄ってローカルでとりあえずそれっぽくして動かしていた。 但しフレームワーク作りが楽しくてなかなかYakiBikiまで到達できなかった。 Pieceと出会い、Xhwlayを構想して2007年の8月とかにはXhwlayが動き出していた。 で、やっぱり何だか抑えが効かなくなって、部長に直談判して((何の事はない、会社が小さいので自分の1つ上が部長だっただけのこと))、半年ほど休職扱いにして貰った。 '' Ceta制作で半年ほどメインの授業ボイコットしたのと変わらないなぁと。 '' まぁその半年は色々あって、高い授業料払って人生を勉強させて貰ったり、Webベンチャーにアルバイトとして雇って頂いたりした。 この時、3ヶ月の間に3種類のPHPフレームワークを取っ替え引っ替えで同じアプリを作成し、ベンチマークを取ったりした。 2008年の3月から9月までは色々あった。Ruby on Railsをやったり、どこか逃げ場所を求めてPHP勉強会SIDE-Bを開いたり人に会ったり、精神的に追いつめられたりもした。何というかあっという間の1年半だったけれど、手元のYakiBikiのリビジョンは確かに480を越えているし、Xhwlayは動いているし、こうしてYakiBikiを自分で使っている。 今は直ぐには分からないけれど、これらも多分将来の自分にとって効いてくる布石になるのだろう、きっと。そう願いたい。SIDE-Bに参加して就職先を得た人もいるのだし、きっと無為ではなかった・・・と信じないとやってられないなぁ。 * サイクル とりあえずYakiBikiまで作り、ひとまず自分としては「欲しいツール」が出揃った訳だけど。 このサイクルだとまた5年後とかに、自分が欲しい「何か」を作る為に半年ほど会社を休むのかも知れない。 その時は自分は何を作りたがっているのか、今から楽しみだったりする。 ここまでは本当に単に「自分が満足する為の何か」を作る為に我が儘し放題だったわけだけれど、もし今度我が儘をしたくなったときは、もうちょっと他の人も満足できる何かを作れると良いなぁ、と思う。