自分でも信じられない。 今日・・・既に昨日か、朝からうっすらとした頭痛を感じていて、やばそうな感じはしていたのだけれど一応電車に乗って会社に行こうとした。電車から降りて地下鉄駅の改札を出て階段を上がろうとしたところで軽いめまいと同時に倦怠感が一気に体を襲った。そのまま改札出口と階段の間を暫くうろうろしていて、最初は自分の状態が分からなかったのだけれど、10分ほどして「やばい、これ、適応障害っぽい。」と自覚してすぐ、自宅に戻る事にした。そのまま携帯電話の電源を切って伏せっている。 怖い。怖がる対象は分かっている。職場のメンバーと上手く意思疎通が取れない。関係者と上手く意思疎通が取れない、取れていないように自分では思えてしまう。「これで合っているのか」と些末な確認事項があるのだが、質問できる雰囲気ではなくてただただ周りの仕事のスピードに圧倒されてしまい呆然と立ちすくんでしまっている。自分の仕事や割り振られたタスクの詳細すら、質問したら馬鹿にされ「そんなことも分からずに仕事しに来ているのか」と罵倒されているような被害者妄想を抱えてしまっている。 周りが「あうん」「ツーカー」で動いているのに取り残されている恐怖を感じる。本来なら「それってどういうことですか?」と突っ込んで質問しないと駄目なのに、上手く切り出すタイミングを計れず、質問する機会を逃してしまう。 他人が作ったシステムに対して保守運用案件で改修や機能追加を行うのは今の現場が初めて、という訳ではない。急な手伝いや正式な案件などで何度か経験している。ただし、よくよく振り返るに、少なからず今回の適応障害に似た、居心地の悪さ、というのは感じていた。 さらに振り返れば、2005-2006年に携わった半年ほどの案件で、既存の決済システムに機能追加を入れる仕事があり、あの時も一種の適応障害を起こしていた可能性が高い。単純に自分がとりまとめ役になっていた責任感で、欠勤やプロジェクトドロップアウトに至らなかっただけで、毎日毎日目の前のチームメンバーに怯えて過ごしていた。 多分、他人の作ったシステムの保守運用+新規開発的な現場で、背景事情や歴史を呑み込めずに次から次へとタスクを割り振られ、こなしていくというスタイルに合わないのかも知れない。 自分は決して呑み込みや要領の良い方ではなくて、本筋から外れた些末な事をぐだぐだと質問したり、弄っては壊してを繰り返して、回り道して、ある日突然、「あ、そーゆーことか!」と理解する。多分客観的に見ればあまり頭が回る方ではないと思う。そして自分一人でシステムを組むのは慣れているが、他人が作ったシステムに対して手を入れるのは非常に厄介だという苦手意識というか恐怖心がある。 他人が描いて、既に完成している絵に対して「ここにもう一つ、お花を描き入れて欲しい」と頼まれたような。 全て他人が既に完成させた「流儀」に従わないと、システムが破綻してしまう。右も左も分からないので、あちこちに聞き回る事になる。関係者が増えてくると、自分は只の伝書鳩になってしまう。「Aさんはああいった」「Bさんはこう言ってる」「Cさんはこっちだという」 そうなってしまうのも、「自分はこのシステムをこうしたい」という意志が元々欠落しているから。 中学生の頃、美術部に所属していた。そこでは運動会の度に紅組・白組で分かれて、4.5畳ほどの大看板を作り、流行の映画やアニメの絵などをみんなで描く習わしがあった。 当時一年の自分はここで、「自分ならこうする」と図々しく言いだし、一部分を描いた。 が、見事に失敗した。 その後上手く謝れず先輩からも叱られたもので、とにかく小・中のころから、5-10人を超える集団で何か作ろう、という時は大抵、上手く動けず失敗している。 ・・・書いてて思うに、よくよく思い出せばアレもコレも適応障害だったなぁと。小中では運動会の練習が嫌で嫌で溜まらなくて、腹痛だったり倦怠感におそわれたりしたし。中学校では、小学校までの「よい子」が通用しなくて壊れかけたし。 なんだよ、適応障害の常習者じゃないか、自分。というか小・中でのトラウマが多すぎる。思い出したくもない事ばかりだ。それも全て、グループワークに関する事ばかり。 小・中でのグループワークに関する経験で、もしかしたら「グループワークでは自分で何かしようとすると失敗する」という刷り込みでも成立してしまったのかも知れない。あるいは「他人の流儀に合わせるのを最優先し、自分ならこうする、という意志を持ち込んではならない」という恐怖を自分で勝手に刷り込んだのかも知れない。小学・中学での経験上、自分の流儀で何かすると、周りが作り上げてきたものをぶちこわしにしてしまう経験しかない。 自分の意志で「これがいい」というものを、他人が作り上げたシステム・絵・世界の中で実現させた時、「成功」した記憶がない、経験がない。 全部、「ぶちこわしにした」経験や記憶ばかりだ。周りと合わない、他人と合っていない、自己の世界で完結してしまってどうにも異分子になってしまう。 幼稚園の時、お絵かきをしていた時。周りはお日様を赤い丸で描いていた。しかし自分だけ、見たまんまに黄色いクレヨンで丸く塗った。そのとき、「なんでみんなお日様を赤く塗るんだろう」と不思議に思った。 他人の流儀に合わせられずぶちこわしにするくせに、じゃぁ自分の流儀で何が作れるんだと言われれば、大学時代に作ったテキストエディタしかり、このYakiBikiしかり、随分と自己満足的なものしか作れない。 まぁ、スパゲッティ料理やチャーハンなどは、ちゃんと基本から勉強していたのもあってか、実家にいた頃は家族受けも良かったのだけれど・・・。 うーん、じゃぁ自己満足で技能を高める事が出来る世界なら上手く摺り合わせられるのかな? 今のところ、過去、それが最もリンクしていたのがお絵かきや料理なのだけれど、さすがにそれもな・・・。 プログラミングもリンクしてはいるのだけれど、「システム開発」には上手くリンクしてないんだよな。 だって他人の流儀に合わせる=「自分で意志を持ってはいけない」という刷り込みが、こと「システム開発」においては強く影響しすぎている。2004-2005年にかけての数ヶ月に渡る案件で、「自分で勝手にコーディングするな!Javaを知らない人間が見て分からないコードをJavaで書くな!どんなに不満があっても、今既に動いているコードの書き方から逸脱するな!」と徹底的に叩かれて、トラウマになってしまっている。 だからか・・・。運用保守+新規開発などで、いつも不安に苛まれるのは。「これでいいのか」「このやり方であっているのか」「既に完成された暗黙の不文律を壊していないか」、その現場ではベテランであるリーダクラスからすればどうでも言いような細かい部分について不安感を覚えてしまい、質問・・・しようと思っても出来なくて不安ばかりが大きくなるのは。 逆に、失敗もあるけどそれと同じくらいの「成功感」を感じた仕事というのは、基本的にゼロから自分で作れる仕事で、しかも「前歴無し」。従うべき過去の不文律が無い状態で、自分の知見を注ぎ込むことが出来た仕事。 そして、ほぼ自分一人か2-3人のチームで担当した仕事。 お互いの担当範囲を話し合ってすぐ分担でき、互いにすぐフォローしあう事ができた仕事。 まぁ当たり前過ぎるけど。 でもな。それでも、料理やお絵かきの時に感じた「愉悦」レベルを感じた事は少ない。サンプルデータの作成でプログラムを分散させた時、ゼロから作った決済システムの総合テストが完了した時、YakiBikiのACLのテストコードが動き出した時、clas3hiftでBCELを使ったクラスのすり替え実証コードが動いた時。これら、自分の持ちうるありったけの技法や知見を注ぎ込んで、状況に合わせて絶妙の塩こしょう・調味料・香辛料を加減し、狙ったとおりの筆使い・色使いで質感を表現できた時、あの舞い上がって椅子から飛び跳ねて小躍りしたくなるような、ニヤリと笑ってお茶を一服したくなるような、あの気分は、中々感じられなかった。というか書いてて、半分以上は個人の時間だったな・・・。 結論。集団不適合。少なくとも「他者が作った既存システムに対する保守+新機能開発を集団で行う仕事」は確実に不適合。 いい加減思い知れ、自分。